“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
「本当はFWをやりたかったけど」
ある高校生GKの怪我と敗北と友の涙。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2018/11/11 08:00
帝京長岡高校に敗北直後の日本文理の選手たち。松葉杖が相澤、背番号3が千葉。
将来のため手術を決意したが……。
「それ以降は痛みが強くて、プレーが続けられない状態だった。屈伸するだけで痛みが走るようになって……」
怪我をした翌日にはプリンスリーグ北信越第15節の試合があった。だが、彼は試合に出場できない状態となり、結局、10月22日に手術をすることとなった。
「自分としては選手権予選に出たかったのですが、痛みでプレーできない状態でしたし、将来のことを考えると今ここでしっかりと治した方が良いと思ったので」
手術をすれば高校選手権予選はおろか、その本戦の出場も厳しいことは分かっていた。それを分かった上で手術を決断したのだが、当初はなかなか受け入れられなかった。
「選手権予選の初戦から出られないことが決まって、予選前にチームのモチベーションビデオを観るのですが、そのときに去年の映像が流れていて……去年の試合を観ると自分自身にストレスがかかってしまう状態でした。
ただ、僕は2年生の時に選手権に出て人生が変わった。選手権という舞台の凄さは理解しているので、今年はサポートでもいいからとにかく(本戦に)帯同したいと思っていたんです。自分が試合出られなくても良いから、チームとして出たかった」
だが、結果は残酷なものだった。
松葉杖をつきながら、泣き崩れるチームメイトに歩み寄って行ったとき、そこに彼がGKをする意味を最初に教えてくれた友の姿があった。
実は相澤がGKを始めるにあたって、もう1人の選手のサッカー人生も、大きく変化していたのだ。
それがもう1つの物語――。
この高校選手権予選の最後となった試合、相澤の代わりにゴールマウスを守っていたのは「背番号3」の同級生GK千葉隆弘だった。
千葉は、実は相澤がGKに転向したことで、また別の大きな決断を迫られた選手でもあったのだ。
GK一筋で生きてきた千葉の気持ち。
小4からGK一筋だった千葉。
高校で日本文理に入ると1年の途中からAチームに抜擢された。千葉は、控えGKから守護神の座を掴むことを目標に、日々練習に励んでいた。
すると高1の冬に、同い年の相澤が突然、FWからGKへとやってきたのだ。
「ライバルが1人増えたなという印象でした。一緒に練習をしても、見るからに素質があったので、僕ももっと練習をしないと、3年になっても試合には出られないと思いました」
相澤のGKとしての才能にすぐに気付いた千葉は、ライバルの出現を自らの励みに変え、まずは歓迎したのだ。そして、高2の選手権で相澤がブレイクすると、「すぐに上手くなって、一気に抜かされた。でも自然と『俺も負けられない』と思えた」と、さらに練習にのめり込んでいった。
だが今年6月、千葉はコーチから「フィールドプレーヤーとして試合に出て欲しい」と突然伝えられたのだ。