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札幌・都倉賢、32歳にして覚醒中。
「自分の取り扱い方が分かった」
text by
渡辺功Isao Watanabe
photograph byJ.LEAGUE
posted2018/08/30 11:15
空中戦の強さはJリーグでも随一。大器晩成を絵に描いたような都倉賢は、今やコンサドーレの旗頭だ。
反町監督から和製アドリアーノと。
スポットライトはなかなか当たらなかった。'05年に川崎フロンターレU-18出身初のトップチーム昇格選手となるが、ジュニーニョ、マルクス、我那覇和樹(現・讃岐)といった面々とのポジション争いに、若手の出る幕はなかった。
'08年途中、J2ザスパ草津(現・ザスパクサツ群馬)に移籍。すると翌年、持ち前のフィジカルを活かしたプレーでゴールを量産する。敵陣を強引に突破していくド迫力の姿に、当時湘南ベルマーレを率いていた反町康治監督(現・松本山雅監督)は、セリエAインテルの重戦車FWになぞらえ「和製アドリアーノ」と称したほど。
終わってみれば、セレッソ大阪にいた香川真司に次ぐ、J2得点ランク2位の23ゴールを奪って、J1のヴィッセル神戸へステップアップする。
「J1で通用しない」とまで言われ。
実績と自信を携えてのJ1再挑戦だったはず。だが、神戸では12年の6得点がキャリアハイ。「J2では活躍できても、J1では通用しない選手」とさえ言われた。13年シーズン限りで戦力外に。直後に海外移籍を目指して渡欧したものの、トライアウトは不合格。失意の帰国のなか、シーズンはすでに開幕していた'14年3月に、J2の札幌に入団する。
「若い頃は、自分はもっとあれもできる、これもしたいと、引いてボールを受けたりもしていたのだけど、ある意味自分の取り扱い方が分かったとでも言うのか。いまは自分がどういう選手なのかに、気づくことができた。いつそれに気がつけるのかは、人によって違うでしょうし、自分の場合は気づくのが遅かったんでしょうけどね」
札幌加入後は14得点、13得点、19得点と、3年連続でチームのトップスコアラーに君臨。まさしくエースストライカーの活躍で、ついには札幌を5年ぶりのJ1昇格に導いた。自身にとっても5年ぶりに立ったJ1の舞台で、昨シーズン9ゴールをマーク。目標だった2桁得点には届かなかったが、かつて貼られたレッテルをみずから払拭してみせた。チームも岡田武史監督時代の'01年以来、2度目となるJ1残留を達成する。