ファイターズ広報、記す。BACK NUMBER
栗山監督が甲子園で過ごした夏休み。
「原点」を見つめて、いざ終盤戦へ。
text by
高山通史Michifumi Takayama
photograph byKyodo News
posted2018/08/17 11:15
栗山監督が目に焼き付けた夏の甲子園100回大会。日本ハムは、8月15日現在、首位西武に5ゲーム差の2位で、残りは約40試合。
現役プロ監督が異例の甲子園入り。
約20分で到着した。甲子園の周辺は、既に車と人でごった返している。何とか駐車して、球場へ足を向けた。現役のプロ野球監督が甲子園を訪れるケースは異例とのこと。過去にファイターズではトレイ・ヒルマン元監督がお忍びで、観戦したことは記憶にある。日本の野球の源流、理解を深めるために甲子園をスタンドから視察した。
今回、栗山監督は大会関係者の方々の配慮もあり記者席上部のシートから、球児の夏を体感することになったのである。
球場入り後、番組関係者と打ち合わせをし、旧交を温めると座席へと案内された。すると野球少年へと変身したのである。身を乗り出しながら両校のシートノックをチェック。五感をすべて聖地へと預ける。甲子園特有のサイレンに耳を澄ませ「これ、好きなんだよね。甲子園だけだよね」と声を弾ませた。
空を見ながら「この雲が原点」など、含蓄あふれる語りは続く。日ごろから高校野球についてよく話題にするが、こよなく愛する思いは、さらに伝わってきたのだ。そして、言ったのである。
『熱闘甲子園』は今でも原点。
「あの『熱闘甲子園』の3年間で接することができた高校野球の監督の方たちから、いっぱい学んだ。それは今でも、オレの原点になっている」
シートノックから第1試合の観戦中、その後に北海道への帰路に就くまで何度も「原点」と口にした。高校時代の思い出も、とつとつと明かしていた。苦しく、時に不条理だった当時の記憶も底抜けの笑顔で振り返っていた。
レジェンド始球式は、東邦の1年生エースとして1977年に準優勝して「バンビ」の愛称で鳴らした坂本佳一さん。栗山監督と同い年である。たった1日であるが縁深さも感じながら、とことん「原点」を堪能したのである。
今回の訪問ではなく、話題をファイターズ全体へと移す。甲子園の大会期間中、札幌ドームを含めてロッカールームなど各室に設置されたテレビはほぼすべて高校野球にチャンネルが合わされている。試合開始まで、選手たちは時間を見つけては注視している。
聞き耳を立てていると、それぞれの高校時代の思い出や、もちろん出場を果たしている出身校の応援、プロから注目されている選手に対しての考察、私見など様々である。そこには輪ができる。みんなの「原点」なのである。