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30歳になった斎藤佑樹。あの頃と
変わらない人間としての「強さ」。 

text by

高山通史

高山通史Michifumi Takayama

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photograph byKyodo News

posted2018/06/08 11:00

30歳になった斎藤佑樹。あの頃と変わらない人間としての「強さ」。<Number Web> photograph by Kyodo News

昨シーズンは6試合で1勝3敗、防御率6.75。8年目を迎え30歳となった今シーズン、斎藤佑樹はここまで一軍で1試合に登板したのみだ。

大谷翔平にファンが一斉に群がった日の記憶。

 今でも思い出す。数年前の2月のことである。私はファイターズの広報へ転職前で、まだ記者だった。春季キャンプのことだった。現エンゼルス大谷翔平選手が、トップ選手へと駆け上がっていた。紛れもない、その年のファイターズの最注目選手だった。

 キャンプ地の沖縄・名護市営球場でもファンの方々、報道陣の耳目を一身に集めていたころのことである。

 小雨が降っていた1日だった。投手陣はメーン球場に隣接する室内練習場でウオーミングアップを終えると、屋外のブルペンへと徒歩移動をしていた。東シナ海を望む浜辺沿いが、その動線である。

 パラパラと2~3人ほどの集団に分かれてはいるが、投手陣は一団で動いていた。斎藤投手の目の前を歩いていたのが、大谷選手を含むグループ。そこへ、ファンの方々が一斉に群がっていったのである。

「僕も昔、あんな感じだったんですよね」

 少し遅れて、斎藤投手が続く。こちらの感覚では、適切な表現ではないが「斎藤佑樹」の存在は、ないがしろにされていた。その時、取材を兼ねて一緒に歩いていた時だった。ファンの方々にメディアを含めた大集団を引き連れている大谷選手に、目をやった。凜として、しかも明るいトーンで発した一言。今も脳裏に焼きついている。

「僕も昔、あんな感じだったんですよね。もう誰も、こなくなっちゃいました」

 活字だけで判断すれば、想像はできないだろう。そこにはジェラシーを、微塵も感じることができなかったのである。少し笑ってもいた。すがすがしいほど、達観していたことを鮮明に覚えている。

 その境地は、私には一生、理解することはできないだろう。思いを寄せることはできても、不可能であると強く認識するワンシーンだった。

 生きる伝説となった、あの夏と何も変わらないのだと思う。人間としての「斎藤佑樹」の強さは、今も不変であると。世間からの目も、声も依然、厳しいことは現実である。

 残している結果に対して、ドラフト1位で幸運にも指名できたファイターズも、斎藤投手本人も、もどかしいことは間違いない事実である。そんな現状と闘い、立ち向かって、打破できるのは斎藤投手本人のみである。

【次ページ】 険しい取材も、あっさり引き受ける強さ。

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