フランス・フットボール通信BACK NUMBER
アフリカを愛した仏人名監督が逝去。
トルシエ、ハリルに通ずる偉大なる魂。
posted2018/05/29 16:30
text by
フランク・シモンFrank Simon
photograph by
Alain de Martignac/L'Equipe
この4月24日にアンリ・ミシェルが亡くなった。1947年生まれの享年70歳。日本の読者の皆さんはあまりご存じないだろうが、元フランス代表のキャプテンにして後に代表監督も務めた(ワールドカップ3位、'86年メキシコ大会。他に'84年ロス五輪金メダル)。FCナントのレジェンドであり、ヴァイッド・ハリルホジッチもミシェルには大きな恩義を受けている。コーチとして仕事のないヴァイッドをモロッコに呼んだのはミシェルであった。
筆者(田村)にとっても思い出深い人物で、特にコートジボワール代表監督時代は同代表を密着取材したこともあり、幾つものシーンが即座に目に浮かぶ。ラバでは酔っぱらって前後不覚に陥り、フィリップ・トルシエ夫妻に抱えられて家まで送られたこともあったという。とても人間的で、思わず親近感を感じる人物であった。
ただ、そうであるがゆえに、フランスでもアフリカでも幾度となく協会やコーチ、選手たちによる裏切り行為にあい、指導者になってからは光以上に影の部分も大きくなってしまったも事実であった。だからこそ、フランク・シモン記者は『フランス・フットボール』誌5月2日発売号でこう書いている。
「アンリ・ミシェルの最後の20年間は、大冒険家の生涯を全うしたといえた。8つの国で監督を務めワールドカップには3度出場。はたしてそれは、彼にとって幸福なことだったのか」と。
ミシェル追悼号となった同誌で、シモン記者がアフリカ時代のミシェルをふり返る。
監修:田村修一
アフリカ・サッカーを愛した2人のフランス人。
恐らくは長年にわたる友人で現役時代に幾度となく対戦してきたクロード・ルロワ(カメルーン代表監督としてアフリカ選手権制覇等)の影響もあったのだろう。指導者としてのアンリ・ミシェルのキャリアは、アフリカととても深く結びついていた。
南仏エクス・オン・プロバンス生まれのミシェルと、生粋のブルターニュ人(頑固者が多いことで有名な地方)のルロワ。対照的な性格のふたりが意気投合した瞬間をルロワが振り返る。
「ミッキー(ミシェルの愛称)と友人になったのはリーグで対戦していたときだった。試合の後でよくパリに一緒に行ってキャバレーで騒いだよ。ただ、そんなばか騒ぎも、彼がフランス代表監督になり終わりを告げた。セネガル代表監督だった私は、'89年にダカールでの代表合宿に彼を招待した。たぶんそのときの印象が良かったのだろう。アフリカでもふたりの友情は続いたんだ」