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森重真人はW杯にギラついている。
「俺なんて」が口癖だった男の変貌。
text by
馬場康平Kohei Baba
photograph byKoki Nagahama/JMPA
posted2018/05/17 08:00
コートジボワール戦で喫した悔しい逆転負け。森重真人が味わったブラジルでの屈辱は、ロシアで晴らすのみだ。
活躍することを目標にしていたら。
森重は、ブラジルW杯グループリーグ初戦のコートジボワール戦で、今野を押しのけて宣言通り先発出場を飾ったが、以降はベンチを温めた。タッチラインの外からただ眺めることしかできないまま、あっという間に大会は3試合で終わりを告げる。残ったのは、後悔の念だった。
「もしも、あそこで全ての試合に出るとか、活躍することを目標にしてたら、また違ったかもしれない。本当に1試合に出て終わってしまった。たとえば1試合目にスタメンで出て勝つことを目標にしていたら、また結果が違っていたんじゃないかって思う。
目標を達成したけど、次の目標が白紙だった。目標を立てる怖さを知った。でも、あの時の自分の立場ならW杯の試合に出るという目標は、誰もがそれで良いと思っていたと思うんですよ。でも結果的に終わってみれば、それが間違いだった」
そして、もう1つの宿題を大会後に目にする。ずっと目標にして背中を追い掛けてきた今野が、「自分がCBをやることに限界を感じた」と口にしたのだ。
「その言葉が胸に刺さった。今野さんがそう思っちゃったら、その今野さんを目標にしてやってきた俺からしてみれば、なんかこう……むなしいというか。果たして自分はどうなんだと考えるようになった。やっぱり世界で通用するにはパワーと、高さが必要なのか。今野さんの言葉は分かる。でも、負けたくはない」
ハリル体制での落選、全治4カ月の重傷。
そこから森重は、さらにトレーニングに没頭する。練習メニューを再考し、いいと思うものは積極的に取り入れた。だから、いつも「時間が足りない。やりたいこと、やらなきゃいけないことがどんどん増える。1日が36時間ぐらいあったらいいのに」と、言うようになっていく。
その一方で、キャプテンとしての重責も担ってきた。チームのため、勝利のためと、けがを抱えていても試合には出続けた。どんなに調子を落としても、それが自らの責任だと背負い込んだ。だが、それを理由に、ついに昨年6月の親善試合の代表メンバーからも落選してしまう。それまで不動の地位を築いてきた、ヴァイッド・ハリルホジッチ監督体制では初の出来事となった。
出直しを誓った矢先に、張り詰めた糸がついに切れる。昨年7月のJ1リーグ・セレッソ大阪戦で負傷退場。後日、左腓骨筋腱脱臼で全治4カ月の診断が下る。'09年以来の長期離脱を余儀なくされた。