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内田篤人に帰国を決断させた“流れ”。
「動けるうちに好きな鹿島へ帰る」
text by
寺野典子Noriko Terano
photograph byGetty Images
posted2018/01/25 07:00
ノイアーはバイエルン移籍後も内田とピッチ上で笑顔を見せた。それほどまでブンデスリーガで愛されたのだ。
「僕は現役としての折り返し地点を過ぎているから」
レギュラーとして長らく活躍した内田だったが、ブラジルW杯後に痛めていた膝が悪化した。だましだましプレーを続けたものの、2015年6月に手術。2016年12月の復帰まで、1年半もの時間を要した。
負傷明けということもあり、自分の力を証明するとともに「身体は万全で戦える」ことをアピールしなければならない。他の選手に比べると、内田のスタート地点はゼロやマイナスのようなものだった。監督の信頼を得られず、チームに帯同しながらもベンチ外が続いていた。
そして2017-18シーズンのリーグ戦開幕前、テデスコ新監督のもとでは出場チャンスは少ないと告げられ、2部のウニオン・ベルリンへの移籍を決断した。
「監督から見て『2年やっていない』のが気になるのはしょうがない。僕は練習はやれていたから、試合に出られない悔しさはありつつ、サッカーができる喜びが大きかった。でも“時間がないな”という気持ちはあった。ワールドカップもそうだし、僕は現役としての折り返し地点を過ぎているから」
「もうヨーロッパはお腹いっぱいだなと思った」
ウニオン・ベルリンでも試合になかなか出られず、10月中旬には肉離れを起こした。全治数週間と見られたが、結局ウインターブレイクまでに復帰はできず、年明けに鹿島への移籍が発表された。結果的にこの負傷が、帰国を決断するきっかけとなった。
「肉離れをやったとき、日本へ帰ると決めた。『ここ(ウニオン)じゃない』と筋肉が言っていると思った。流れがここじゃないんだなって。だったら、身体が動けるうちに僕の好きなところへ帰りたいと。(鹿島が)拾ってくれるなら、そこでやった方がいいんじゃないかって。
もしもシャルケから直接、鹿島へ戻ってきていたら、『もうちょっとヨーロッパで頑張れたんじゃないか』という心残りがあったかもしれない。でもベルリンに行かせてもらって、もうヨーロッパはお腹いっぱいだなと思った。自分は頑張ったという気持ちがあるから」