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内田篤人に帰国を決断させた“流れ”。
「動けるうちに好きな鹿島へ帰る」
text by
寺野典子Noriko Terano
photograph byGetty Images
posted2018/01/25 07:00
ノイアーはバイエルン移籍後も内田とピッチ上で笑顔を見せた。それほどまでブンデスリーガで愛されたのだ。
空白の2年間のせいで、サッカーをやりきってない。
内田特有の照れ隠しかもしれない。ただ「流れに身を任す」というキャリアの歩みもまた彼らしい。
シャルケ加入直後、内田は「早く現役を引退して、のんびり暮らしたい。30歳くらいで」と話していたこともある。しかしその年齢になった彼は、古巣への復帰という新しい挑戦に身をゆだねた。
「空白の2年間のせいで、僕はまだサッカーをやりきってないっていうイメージがある。余分な2年分が追加されているからね。身体が持てばというのもあるし、契約がないとサッカーは続けられないから。いろいろあると思うけれど、もうちょっと、もうちょっと、という感じになっていくのかもしれない」
「サッカー馬鹿になりつつあるね(笑)」
長く苦しいリハビリ期間で、新たに気づいたこともある。
「(リハビリを)やめたら、もう引退するしかない。でも、僕はサッカーしかできないからさ。サッカーしかないんじゃなくて、サッカーしかできない(笑)。サッカー馬鹿にはなりたくなかったけど、サッカー馬鹿になりつつあるね(笑)」
内田が目を向けるのは、鹿島復帰だけでなく、選手としてスパイクを脱いだ後のこともだ。引退後の青写真も変わりつつある。それはシャルケで最後の指導者となったテデスコ監督の影響が大きかった。
テデスコ監督は、ブンデスで注目を集めている若手指揮官のひとりだ。2013年にシュツットガルトのU17のアシスタントコーチに就任してから、わずか4年でシャルケの監督に。トップチームでの監督経験はわずかだったが、現在シャルケは3位。結果が力量を証明している。