プロレス写真記者の眼BACK NUMBER
「噛ませ犬」事件から35年が過ぎ――。
昭和の“革命戦士”長州力の現在。
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2018/01/18 11:00
老いたりとはいえ、その“革命戦士”としての目の輝きは変わらない。その闘争の遺伝子を、長州は果たして誰に伝えていくのか……。
「オレとお前とどこが違う」
長州と藤波との抗争が勃発したのは、1982年10月8日の後楽園ホールだった。もう35年以上前の話だが、その日も6人タッグマッチだった。
長州はメインでアントニオ猪木、藤波と組んで、アブドーラ・ザ・ブッチャー、バッド・ニュース・アレン、S・D・ジョーンズ組と対戦した。
長州はメキシコ帰りでいわば凱旋試合だった。メキシコではUWAヘビー級の世界王者にもなった。だが、何となくもやもやとしたものが気持ちの中に残っていて吹っ切れていなかった。
それが入場の時に、藤波の前を歩くことで一気に膨れ上がった。長州はその不満を抑えきれなかった。そしてリング上で藤波に食って掛かった。
「なんでオレがお前の前を歩かなくちゃならないんだ。オレとお前とどこが違う」
猪木が許容したことで、長州の暴挙は生きた。
猪木の前を歩くことには抵抗はなかったが、藤波の前を歩くことには強い抵抗感を覚えた。先を歩くことは「格下」を意味したからだ。
「雑草」とか「チャンピオン」とか思い浮かんだ言葉を次々に口にしながら、試合そっちのけで、長州は藤波に詰め寄った。これには猪木もさすがに戸惑った表情を見せた。
このいざこざは試合後の控室の狭い通路でも喧噪の中で続いた。これが、いわゆる「噛ませ犬」事件だ。
長州は勢いで暴発してしまった。
だが、致命的と長州が感じたこの暴挙は、猪木によって許容された。
そしてこの夜の出来事は、同年の10月22日、広島県立体育館から始まることになる長州と藤波の「名勝負数え歌」の引き金になったのだ。