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名監督だけど気分は「友達」!?
箱根4連覇目指す青学・原監督の心。
posted2018/01/01 09:00
text by
中村計Kei Nakamura
photograph by
AFLO
卒業生は、年賀状を書くわけでも、あえて「恩師」と呼ぶわけでもないという。
「たとえば高校を卒業してから高校の監督に会いにいくと、すごく優しくなっているじゃないですか。それが在学中から続いている――もとからそんな人。最初から大人扱いしますから」
青学を箱根駅伝3連覇に導いた原晋に対する、昨季まで3年連続で箱根駅伝の「花の2区」を任された一色恭志の監督評である。
――雑誌のアンケートで「尊敬する人」という欄があったとして、監督の名前を書きますか?
「書く人、いないんじゃないですかね。いても1人か2人じゃないですか」
そんな一色にとって、ならば、原の存在とは――。
「……盟友と言う感じはしますけど」
指導者にとって、名監督とたたえられるより、こう言われることの方が何倍も名誉なことではないか。
大学駅伝の世界に「会社」の論理を持ち込んだ男。
原の監督像は、一般的な強豪大学のそれとは一線を画する。
原は2004年、36歳のときに、中国電力の営業マンから、大学駅伝の監督に転身した。
それまで指導者歴があったわけではない。指導者としては「1年生」だった。しかし、当時から、初心な感じは、ほとんどなかった。
それは原がクラブ活動も組織という意味では会社と同じだと考えていたからである。
原は会社の論理を、そのままクラブ運営に持ち込んだ。選手を大人として扱ったし、選手も監督を相対的な存在とみなし、必要以上に仰ぎ見ることはなかった。だからこそ、旧態依然とした風習が残る大学スポーツ界で、突出できたのである。