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19年ぶりラグビー大学日本一へ!
明大で花開く早熟の天才、梶村祐介。
text by
大友信彦Nobuhiko Otomo
photograph byNobuhiko Otomo
posted2018/01/06 08:00
紫紺のジャージのフィニッシャー役を務める梶村。メイジファンの希望として、日本一を狙う。
決め打ちせずアタックを仕掛けるスタイルで。
今季の明大は、これまで自分たちをしばっていた「決め事」を放棄した。昨季までのアタックは6、7フェイズまでガチガチに決めていたが、決めるのは基本的に最初のフェイズのみに変更。それ以降のフェイズでは、ボールの出るタイミング、味方の人数・陣形と相手の人数・陣形を判断して、最適なオプションを瞬時に選択する。
「決め打ちしたほうがチームとしても個人としてもラクですけど、それをしていたら強い相手には勝てない。だから、田中澄憲(きよのり)さんがヘッドコーチに来た春からずっと『コミュニケーション』をチームのテーマにして、ビジョンを共有できるように練習してきたんです」(梶村)
大東大戦で、相手パスを奪った梶村のイメージを察し、最適の場所に走り込んだ山村の判断もまた、春から磨いてきた「コミュニケーション」の成果だったのだ。
エディーから注目され、最年少で代表招集。
梶村祐介の名が日本中のラグビーファンの記憶に刻まれたのは2013年秋のことだった。当時、報徳学園高3年の梶村は、エディー・ジョーンズHC(ヘッドコーチ)率いる日本代表の合宿に最年少で招集されたのだ。当時から高校生とは思えない、ビルドアップされた上半身。大学生や社会人の代表選手に混じってプレーしても気後れしない自信と風格。正式な日本代表でデビューする日も遠くないのか……そう思えた。
だが、目の前にも思えた日本代表は近くなかった。日本代表で世界と戦いたいという気持ちがはやり、体重を急ピッチで増やしすぎた。高3の花園には、わずか3カ月で体重を8キロ増やして乗り込んだが、体のバランスは崩れた。
「20キロの荷物を持って走っている感じでした」
明大入学前にはジュニアジャパンで出場した南半球の大会で肩を脱臼。そして、同学年のライバルたちが、先に檜舞台に出ていった。
まず脚光を浴びたのは帝京大のフルバック尾崎晟也だった。尾崎は伏見工から帝京大に進み、大学1年から帝京大のトライゲッターとして活躍。1年から大学選手権優勝を味わい、シニアの日本代表でキャップを得ていった。5歳のときから兵庫県の伊丹ラグビースクールに通った梶村にとって、南京都RS、伏見中、伏見工でキャリアを重ねた尾崎は、こどもの頃から何度も対戦した間柄だっただけに、悔しさは募った。