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サポーターを蹴り上げて出場停止!!
エブラとカントナ、その激情の世界。
text by
クリストフ・ラルシェChristophe Larcher
photograph byStephane Mantey - Action Images/Panoramic
posted2017/11/28 08:00
写真左がカントナの通称“カンフーキック”。右はエブラのハイキック。
結局……エブラには重い処罰が下されることに。
現状ではエブラの今後は不確かである。
事情聴取の後に、クラブから何らかの処分が下されるだろうし、UEFAも重い処罰を科するのは間違いない(註:結局この記事の後、UEFAはエブラを来年6月30日まで出場停止処分に処し、マルセイユは彼を契約途中ながら解雇した)。
長い出場停止期間の間、彼はYouTubeや他のインスタグラムで自己弁護を饒舌に行うのだろうか、それとも黙って'95年のカントナ事件の物語を読み返すのだろうか。
出場停止中も、存分に人生を楽しんでいたカントナ。
カントナは当初、クラブによりシーズン終了まで出場停止処分を受けた。
カントナを欠いたマンUは、勝ち点1差でリーグ優勝をブラックバーンに奪われてしまった。その後、FA(イングランド・サッカー協会)は停止期間を9月30日まで延長した。その間、マンUのサポーターは、試合の度に「オー! アー! カントナ!」と彼のチャントを歌い続けた。ひとりの少女はわざわざ彼の家まで花束を届けに行った。関係者や諸機関、ジャーナリスト、ロンドンの社会からはみ出した若者たちの間で、カントナの神聖化はすでに始まっていた。
当事者であるカントナ自身は沈黙を守り通した。
出場停止中の彼は、セリエA・インテルからの熱烈な獲得オファーを受け続けながらも、結局ナイキとビックのコマーシャルに出演し続け、マンUとの契約も'98年まで延長した。
「バリエテクラブ(註:元著名選手とメディア関係者で構成されたサッカークラブ。プラティニはじめ著名人が名を連ねる)」の試合に参加し、モリッシーやジャーヴィス・コッカーらのミュージシャンたちが彼を支援した。
また映画『しあわせはどこに』に俳優として出演し、銀幕デビューも果たした。さらにファンや関係者に懇願されて書籍も数点出版された。唯一の恐怖は2カ月間の禁固刑であったが、それもすぐに公共奉仕活動へと軽減された。