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武豊&ルメール、大一番前の対談。
キタサンやレイデオロの印象は……。 

text by

片山良三

片山良三Ryozo Katayama

PROFILE

photograph byKisei Kobayashi

posted2017/11/24 08:00

武豊&ルメール、大一番前の対談。キタサンやレイデオロの印象は……。<Number Web> photograph by Kisei Kobayashi

武豊とルメール。日本とフランスが誇る名手が大いに語り尽くした。

もし、レイデオロが二冠馬だったら。

――一方、ダービー馬レイデオロは菊花賞ではなくジャパンカップを目指します。

 (レイデオロ、ソウルスターリングを管理する)藤沢和雄先生はそれまでの当たり前にとらわれない。常に馬のベストを考えている感じがする。

L 藤沢先生は京都の3000mはあまり好きじゃない。馬場がちょっと硬いですし、急坂を下ってからの4コーナーも馬にとっては難しい。レイデオロにとっては東京の2400がベストと思います。あの馬はスタートがあまり速くなくて、いつも後ろのポジション。だから広い競馬場がちょうどいい。特に東京は直線が長い分だけ、最後に伸びることができますね。

 もし、レイデオロが二冠馬だったら、藤沢先生はたぶん菊花賞にいってトリプルクラウンを狙っていたと思う。でも、皐月賞は負けたから。

L はい、5着だった。皐月賞は3歳の初戦で休み明けだったけど、スタートが遅くてすごい後ろのポジションになってしまった。2歳の時にホープフルSを勝ってはいるけど、まだ、中山は難しかったね。仕上がりも途中だったけど、もしもトップコンディションだったとしても皐月賞は勝てなかったと思います。皐月賞は18頭立てで、スタート後、すぐにコーナーがあって、ポジション取りが難しい。それにあの高速馬場では……。前が止まらないし、後ろからではとらえきれなかったと思う。

 でもダービーはすごく強かったね。

L はい、強かった。やっぱりあの馬にとって東京の2400がベストと思います。

15年前、ルメールが来た頃の日本の競馬場は……。

――レイデオロは休み明け初戦の神戸新聞杯を完勝。ダービーの走りができればジャパンカップでもまた名勝負が見られそうですね。

L はい、是非そうしたいですね。日本の競馬は、ダービーと有馬記念が特に盛り上がりますね。それから秋のGIシリーズはお客さんがいっぱい。私が初めて来日して乗っていた時は12月~3月の冬の時期だったから、お客さん、ちょっと少なかった。

 日本に初めて来たのは何年前だっけ?

L 15年前。23歳の時。

 その頃と今とはまた競馬場の雰囲気が少し違うよね。今は若い人が多くなったし、家族連れで来る人もかなり増えた。初めて来るまでは日本の競馬はあまり知らなかった?

L はい。

 僕がフランスに拠点を移して、乗っていた頃('01年)は、もうアプレンティス(見習い)は卒業してたよね。

L そうですね。私は競馬学校に行かず、高校へ行きながらアンドレ・ファーブル厩舎に通って、調教に乗ったりしていました。それで高校卒業後に試験を受けてプロになった。ファーブル厩舎で2年働いて、見習いが終わった後にフリーになりましたね。

【次ページ】 当時、私はユタカさんをたくさん観察しました。

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