詳説日本野球研究BACK NUMBER
ドラフトが象徴、球界勢力図の激変。
大物狙うパと冒険しないセに格差が。
text by
小関順二Junji Koseki
photograph byTakuya Sugiyama
posted2017/11/24 07:00
将来のスター候補を獲得できればメディアも大きく取り上げる。パ各球団の積極的な姿勢は、そこも踏まえているのかもしれない。
「パのほうがクジ運がいい」と言うよりも。
'05年以降、ドラフト前から有力と騒がれ、プロ入り後も一流の成績を挙げた選手の多くがドラフト1位(07年以前は1巡)でパ・リーグの球団に入団した。主な面々は以下の通りだ。
田中将大(投手・駒大苫小牧高→楽天)、中田翔(外野手・大阪桐蔭高→日本ハム)、菊池雄星(投手・花巻東高→西武)、大谷翔平(投手&外野手・花巻東高→日本ハム)、松井裕樹(投手・桐光学園高→楽天)
これに加えて高橋純平(投手・県岐阜商高→ソフトバンク)、田中正義(投手・創価大→ソフトバンク)の有望選手、そして今年も清宮幸太郎(一塁手・早稲田実→日本ハム)の当たりクジを引き当てたのはパ・リーグだった。
「パ・リーグのほうがクジ運がいい」という人がいるが、運よりパ各球団のほうが有力選手に多く向かっている現実がある。実は、第1回ドラフトが行われた'65年から過去53年間、有力選手に向かう数はパのほうが多かったのだ。
たとえば江川卓(作新学院高→法政大)に対して、パの各球団は入団拒否されるのを覚悟して江川が熱望した巨人入りを阻もうとした。
指名する順位を決めるクジが最初に行われる「予備抽選時代」の'73年、指名順位6番目の阪急が1位で江川を指名、'77年には指名順位1番目のクラウンライターが1位で指名したものの、江川はともに入団拒否した。江川は翌年、「空白の1日」を主張して、結果的に巨人入りを果たしたが多くのファンの支持を得ることができなかった。
清原、野茂……かつてもパがこぞって入札した。
これまでの53年間で、3球団以上から1位入札された選手(外れ1位は含まない)の数は合計48人。この有力選手に対してパ・リーグ各球団のほうが多く入札し、なおかつ抽選勝ちした例は18あり、セの11を大きく引き離している。
たとえば'85年の清原和博(一塁手・PL学園高)に入札したのはパ4球団に対してセは2球団。'89年の野茂英雄(投手・新日鉄堺)に入札したのはパ5球団に対してセは3球団だった。