ぶら野球BACK NUMBER
“最も有名なスーパースターの息子”
長嶋一茂の壮絶な野球人生を読む。
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byMakoto Kenmizaki
posted2017/10/04 11:00
ヤクルト入団直後の長嶋一茂。入団前から、その圧倒的な筋力やスター性について、多くのマスコミを賑わせていた。
失意のアメリカ留学、そして父のいる巨人へ移籍。
これ以降の章は、まるで結末を知っている映画を観るような気分でページをめくった。
アメリカへ行き、ドジャース傘下の1Aチーム、ベロビーチ・ドジャースで守備を鍛え帰国するも、野村監督からは当然のように無視され続ける。そんなとき、12年ぶりに長嶋茂雄が巨人監督復帰するというニュースが飛び込んでくる。金銭トレードで父親のいる巨人へ移籍する息子。ついに子どもの頃からの夢が叶ったのである。
長嶋監督に加え、スーパールーキー松井秀喜と長嶋ジュニアがいるチーム。キャンプ地宮崎は人で溢れ、一茂もオープン戦で2打席連続アーチを放ち、打率.375と懸命にアピールを続け、ついに「6番レフト」で開幕スタメンを勝ち取った。
4月23日には阪神戦で移籍後初にしてセ・リーグ3万号本塁打をかっ飛ばす活躍。ホームランを打った背番号36を出迎える際も、ミスターはどうリアクションしていいかわからず、ベンチ際でただウロウロしていたという。この時ばかりは、監督ではなく親父の顔で。今思えば、'93年序盤がプロ野球人生のピークだった。
やがて高校時代に剥離骨折をした古傷の右肘が痛みだすと、まともにボールを投げることすら難しくなり、追い打ちをかけるように右膝の状態も悪化。
結局、9月にはアメリカのジョーブ博士の執刀で手術を受けることになる。
翌年からは痛みをごまかしながらプレーを続けるも、巨人にリベンジを誓った子どもの頃からの夢は終わりかけていた。そして、'96年夏にはチームが“メークドラマ”で盛り上がる中、パニック障害が襲う。
もはや野球どころではなくなった30歳の男は田園調布の実家に呼び出される。
憧れの父親からの戦力外通告。
「残念だけれど、お前は来季の戦力に入ってない」
夢の終わりはあっけないものだ。わずか30秒のやり取り。
本当は野球に未練だらけだったのに、それを目の前の監督に……いや父親に悟られないように振る舞った。恐らく、彼にとっては長嶋の息子という事実は「足枷」であり、「支え」だった。マスコミに騒がれるのは長嶋の息子だから。自分は絶対にやれると信じて突き進めたのは長嶋の息子というプライドがあったから。そんな死にたいくらい憧れた親父の背中が日に日に遠のいていく焦り。