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二塁を守りつつマイコラスを一喝!
巨人マギーは成績以上の助っ人だ。

posted2017/09/08 17:15

 
二塁を守りつつマイコラスを一喝!巨人マギーは成績以上の助っ人だ。<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

大リーグ経験のある川崎宗則と二塁上で談笑するマギー。その人間性は、巨人にも好影響を与えている。

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鷲田康

鷲田康Yasushi Washida

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Takuya Sugiyama

 その昔、巨人にレジー・スミスという助っ人外国人選手がいた。

 ロサンゼルス・ドジャースやサンフランシスコ・ジャイアンツなどメジャー4球団で17年間プレーした左右両打ちの外野手で、通算314本塁打はスイッチヒッターではメジャー歴代5位の数字を誇る強打者だった。

 そのスミスが巨人と契約したのは1982年オフ、藤田元司監督の時代だった。

 すでに37歳。両膝に肩も故障して満身創痍だったが、それでも勝負強さは抜群。好調時には4番を任されることもしばしばあった。

 1年目の'83年の西武との日本シリーズ第3戦では、1点を追う9回2死一、二塁で当時の王貞治助監督から「ヒットでいいからレフトに流せ」とアドバイスを受けた。しかし、それが元メジャーリーガーのプライドに火をつけたのか、東尾修投手の外角シュートを強引に引っ張ってセンター前に同点タイムリーを放ったというエピソードも残っている。

あのクロマティが直立不動になる存在感。

 '84年には広尾の自宅から地下鉄を乗り継いで後楽園球場に通勤する途中、後楽園駅でその日対戦する阪神ファンに取り囲まれる騒動になった。人種差別的な野次を受けて小競り合いとなり、息子のレジー・ジュニアを守るために十数人を相手に殴り合いを演じて逮捕された(のちに起訴猶予)武勇伝もある。

「ただ普段のレジーは物静かな紳士で、野球に関してはプライドの塊のような選手だった。身体はボロボロだったけど、必死でプレーして、メジャーの野球をジャイアンツの選手たちに教える先生のようだった」

 当時、取材していた先輩記者からは、こんな人物評を聞いたことがある。

 2年目にはバリバリの現役メジャーリーガーだったウォーレン・クロマティ外野手が入団。1年目から打率2割8分、35本塁打と活躍を見せた。いきなりの活躍に日本の野球をバカにしたような態度を見せるクロマティーだったが、大リーガーとして格上のスミスから注意を受けると「イエス、サー!」と直立不動で従っていたという。

【次ページ】 物静かだが迫力あるレジー先生とかぶる男。

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