酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
イチローの誰も知らない大記録。
24年前の「46試合連続安打」。
posted2017/09/07 11:00
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph by
Kyodo News
イチローがNPBからアメリカに渡ったのは2001年のことだったが、入れ替わりにこの年デビューした巨人の阿部慎之助が、このほど2000本安打を記録した。間もなく、2004年デビューの阪神、鳥谷敬も大台に達する。イチローとともに日本でプレーしたことのない世代が、2000本安打を打つ時代になったのだ。
マイアミや イチローは遠く なりにけり
そのイチローと言えば、「記録の宝庫」と言えるが、ここでは超レアな記録を紹介しておきたい。それは2シーズンにまたがって続いた、二軍での「46試合連続安打」だ。
「栴檀は双葉より芳し」というが、これこそ世界の安打製造機イチローの原点ともいうべき空前の記録だ。
イチローがドラフト4位でオリックス・ブルーウェーブに入団したのは1992年。
当時の土井正三監督の覚えはめでたかったとは言い難く、春の一軍でのオープン戦には出場がない。なお登録名は、本名の鈴木一朗である。
1年目は二軍スタートで58試合、打率.366。
二軍でスタートした鈴木のプロデビューはウエスタン・リーグの開幕戦、神戸第二球場での広島戦。1番中堅でスタメン出場したイチローは、初安打を放っている。
以後もほぼ1番で起用され、58試合で238打数87安打、打率.366を記録した。
この活躍が首脳陣の目に留まって一軍に呼ばれ、7月11日の平和台球場でのダイエー戦で一軍デビュー。左翼の守備固めで途中出場した。2回打席に立ったが安打は出なかった。
翌日は9番左翼でスタメンに起用され、5回表に木村恵二から一軍初安打を打っている。
このときのオリックスの2番二塁は現オリックス監督の福良淳一、相手のダイエーは44歳の門田博光が代打で出場している。昭和の大打者、門田とイチローは一軍の公式戦で対戦していた、これも驚きだ。