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松坂大輔との春夏連覇から19年――。
小山、小池、後藤がそれぞれ歩む道。
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byHideki Sugiyama
posted2017/08/11 07:00
横浜高校の校歌を歌う小山らナイン。彼らが3年生の甲子園で残した圧倒的な戦績は、今もなお語り継がれる。
「結局、対戦したいのは松坂大輔だった」(小池)
小池正晃と後藤武敏には打者としてのやり残しがある。横浜高校時代、杉内俊哉、新垣渚、上重聡、久保康友ら全国屈指の投手を倒し、公式戦無敗を誇った彼らが誰よりも対戦してみたかった投手がいる。
「結局、対戦したいのは松坂大輔だったんです。そこにしか照準があっていなかった。ずっとどうやって打つか考えていた」
ライトを守っていた小池は松坂を後ろから見ることしかできなかった。その背中は「俺たちは負けない」という不思議な自信の根拠だったが、同時に打者としての欲求も駆り立てられた。どんどん大きくなっていく松坂を目の当たりにしながら、相手打者にどこかで嫉妬していた。
それが叶えられたのは唯一、練習でのシート打撃だった。松坂が投げる。
「ただただ本当に楽しい時間でした。大輔がどこまで本気だったかはわからないですが、結構打ったんですよ」
引退を告げると後藤は何も言わず、ただ泣いていた。
他のメンバーはプロの門をたたかず、あえて別の道を行った者も多いが、小池と後藤は追いかけた。松坂に立ち向かう打席を求めて。
だが、小池の願いはもう叶わない。'13年限りでバットを置いた。ついに公式戦で対することはなかった。
「未練があるとすれば、大輔と対戦できなかったことです。自分がプロで力をつけてきた時、大輔はもう抜けていっちゃってましたけど、彼と自分がどういう位置関係にいるかを真剣勝負で測りたかった」
引退した年の8月、まだ二軍にいた小池はほぼ覚悟を決めていた。だが、かすかな未練が断ち切れない。そこで後藤と、横浜高の先輩として慕ってきた多村仁志の2人に会った。指導者を目指すか、他球団で現役を続けるか。自分にまだその力があるのか。
「2人には正直に言ってほしい……」
行き付けの店にいつもと違う沈黙が流れる。後藤は何も言わず、ただ泣いていた。代わりに多村が言ってくれた。コーチの道に進むべきだ、と。