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松坂大輔との春夏連覇から19年――。
小山、小池、後藤がそれぞれ歩む道。
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byHideki Sugiyama
posted2017/08/11 07:00
横浜高校の校歌を歌う小山らナイン。彼らが3年生の甲子園で残した圧倒的な戦績は、今もなお語り継がれる。
登録名は「ゴメス」でも変わらぬ「ごっちゃん」。
「僕もある程度、答えを決めていて、そのダメを押してほしかった。最後のところを委ねてしまったんですけど、後藤が何も言えず泣いているのを見たら、答えはわかった。そこまで言いたくなかったんでしょうね。僕も後藤だったから相談できた。昔からそういう関係にいるんです」
後藤もバット1本で同じものを追いかけてきた親友の未練は痛いほど分かっていた。だから介錯の刀は振れなかった。
「あの時、僕は黙ってしまったけど、多村さんが『横浜に恩返しするつもりで』と。3人で泣きました。そこで僕は高校のとき以来の小池の涙を見ました」
後藤は今、代打として生きる道を決め、バットを振っている。朝起きてから、あらゆる行動をひと振りに結びつける。球場へ向かう車内、真上に打つような独特のティー打撃、ガムを噛むこと……。すべて自分でつくり上げたルーティンだという。
「かなり神経質ですよ。性格は。高校でも大学でもどこに行くにもバットは持っていました。1日でもスイングを怠ったら打てなくなると、自分で解釈してしまう。本当はルーティンなんてない方がいいんです。ほんとに疲れますから」
チーム最年長の36歳。登録名の頭に「ゴメス」。若手にとっては強面の重鎮かもしれないが、素顔は繊細で生真面目で涙もろくて、それゆえ愛される高校時代の「ごっちゃん」のままだ。そんな後藤は小池の思いも背負って松坂への旅を続ける。
「高校時代、シート打撃で真剣勝負をして、まっすぐと言われても当たらない。すごく衝撃を受けて以来だから。ナンバーワンの投手は今でも松坂だと思っていますから。一番の夢は交流戦、横浜スタジアムで松坂と対戦すること。彼が日本球界に戻ってきて、ひとつまた夢が増えました」
ナゴヤ球場で小山コーチは20歳の捕手に指導していた。
名古屋市中川区のナゴヤ球場。コーチとして歩み始めた小山の前には20歳の捕手がいる。育成選手の藤吉優だ。
「去年は怪我もあって6試合しか出ていなかったので捕手としての立ち居振る舞いからですね。この前、スタメンで出て試合を作っていた時は僕も嬉しかったです」
高校時代、松坂の剛球を捕るため小倉清一郎部長から至近距離のノックをよく受けた。そのノックを今、藤吉に打っている。
「150kmの投手を受けるんだから、170kmを体感しろって言われて。僕はあんなに強くは打てませんけどね(笑)」