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錦織圭が予言した杉田祐一の躍進。
28歳、ついに「心の強さと運」が。
text by
井山夏生Natsuo Iyama
photograph byAFLO
posted2017/07/07 07:00
念願のウィンブルドン初勝利を手にした杉田。松岡修造氏の世界ランキング最高位を超えたこともエポックメイキングだ。
「史上初の高校生」が福原愛と斎藤佑樹と同級生に。
当時は、高校生がプロに勝つなんてあり得ないと見られていた時代だった。高2でインターハイを制した杉田には、その後も“史上初の冠”がついてまわる。
「フューチャーズ大会で優勝した史上初の高校生」
「デ杯のシングルスで勝利した史上初の高校生」
「日本リーグでプレーした史上初の高校生」
「チャレンジャー大会で勝利した史上初の高校生」
杉田は圧倒的なテニスエリートだった。そうした実績を引っさげて高3の10月にプロに転向。同時にトップアスリート入試で早稲田大学に進学する。わずか6人の合格者の中には卓球の福原愛がいて、同期には甲子園を沸かせた斎藤佑樹もいた。プロ兼学生が許されたのは、杉田への期待が大きかったからだ。
1500位から500位までは3カ月、255位までは3年間。
2006年。プロとなった杉田はたったの3か月間で1500位だったランキングを500位まで上げる。しかし、ここからが長かった。グランドスラムの予選に出場できるランキング(255位)にたどり着いたのは3年後の2009年だった。
その間には同い年の伊藤竜馬に抜かれ、日本男子選手としては錦織、添田豪、伊藤から離れた4番手扱い。ランキングを100番台に上げたのは2010年。22歳となった杉田のことをもう天才扱いする関係者はいなかった。その後も停滞しているうちに若手のダニエル太郎、西岡良仁にも抜かれてしまう。杉田を「平凡なプレイヤー」と認識する人も多くなっていた。
期待が萎んでしまった背景にはグランドスラム大会がある。杉田は初めて出場した2009年の全米から2014年のウィンブルドンまで予選を突破することができなかった。一般のテニスファンにとってグランドスラムに出ていない選手はいないも同然。杉田の認知度が上がらなかったのは、17回連続で予選を勝ち上がれなかったからだ。