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「どんどん選手生命を長くしたい」
葛西紀明、44歳が目指す五輪の先。

posted2017/05/04 09:00

 
「どんどん選手生命を長くしたい」葛西紀明、44歳が目指す五輪の先。<Number Web> photograph by Getty Images

'90年代から'10年代にかけて世界を転戦し続ける葛西は今もなお充実のジャンプ人生を送る。

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折山淑美

折山淑美Toshimi Oriyama

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Getty Images

史上最多、7度目の五輪で初の個人銀メダルを獲得。その後も好調を維持する。
44歳のレジェンドは、平昌五輪プレシーズンを迎えても浮き足立つことはない。
彼が自然体でいられる理由は、ソチ五輪後に訪れた心境の変化にあった――。

 '92年のアルベールビル五輪に19歳で出場して以来、史上最多となる7度の冬季五輪を経験した“レジェンド”は、平昌五輪プレシーズンを前にして、「自然体で出来ています」と穏やかな笑みを浮かべた。

「夏も例年通りに過ごしたし、技術的にも特別に変えたところはないですね。ソチ五輪後も、自分のジャンプは固まっていて安定していると思うので。以前は練習も100%やらなければ気が済まなかったけれど、今は何も気にしないでストレスも無く、普通に自然体でやっている感じなので……。今季も五輪プレシーズンだからという特別な意識もないし、毎年楽しみにしているW杯をどう戦っていこうかということだけ考えています」

 '13-'14年のソチ五輪シーズン。葛西は、'14年1月11日のバートミッテンドルフ大会で10シーズンぶりの優勝を果たし、W杯最年長優勝記録を更新。その後も5試合で3位2回、4位2回と好調を維持してソチ五輪に臨み、冬季五輪日本人最年長となる41歳8カ月で銀メダルを獲得した。

日本の苦戦は技術ではなく、ジャンプスーツのせい。

 その好調を支えたのは、自身のジャンプ技術への信頼感だった。'98年長野五輪以降、日本勢が低迷する中で、葛西の心には「ヨーロッパ勢と日本には技術の差があるのかもしれない」という思いが芽生えていた。その疑念を覆すことができたのが、ソチ五輪プレシーズンだった。

 '12年7月、国際スキー連盟によるジャンプスーツのサイズのルール変更が行われ、胸囲やウエストなど体のサイズに対する最大許容差が+6cmから+0cmとなった。すると、同年サマーGPでは日本の若手が好成績を連発。8月の白馬大会では葛西自身も初日は1本目で失敗したものの、最終的に3位になった。さらに+2cmに再変更された冬に入り、「これまでの日本チームの苦戦はジャンプスーツのせいだったのではないか。日本チームはジャンプ技術で負けていた訳ではなかったのだ」と確信した。

【次ページ】 好成績を残しながらも感じていた、ある戸惑い。

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