話が終わったらボールを蹴ろうBACK NUMBER
“DFW”矢野貴章、今や本当のDF。
レオ・シルバ後の新潟で影の番長に。
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph byJ.LEAGUE PHOTOS
posted2017/03/26 11:00
毎年のように主力が抜けていく古巣に戻る。その決断を下した矢野は、北信越の雄である新潟のために粉骨砕身する。
FWながら「献身的な守備」でW杯メンバーに。
「(加藤)大がうまくプレスバックしてくれて、そういう中盤の選手や後ろの選手がカバーしてくれているなっていうのがあったので、僕も思い切って(齋藤に)チャレンジできたのかなと思います」
周囲の選手と連動しつつ、自らは距離をうまく取りながら守備をすることで決定的シーンはほとんど作らせなかった。
「いやだなっていうシーンが何回かありましたけど、(齋藤に)決定的な仕事はさせなかったと思います」
矢野は充実した表情で、そう言った。
復帰して間もない新潟で、右サイドバックとして絶対的な存在になっている矢野だが、もともとのポジションは右サイドバックではなく、FWだった。それも2010年南アフリカW杯のメンバーにも選出された実績がある。とはいえ当時の指揮官だった岡田武史には「豊富な運動量とスピード、献身的な守備に期待」と評価されていたのである。
思えばその時から、現在務める右サイドバックにつながる能力があったのかもしれない。そして実際に矢野が右サイドバックとして起用されたのが2014年だった。
「今は監督に求められているものができれば」
当時、所属していた名古屋グランパスで、守備陣に故障者が続出。そんなチーム事情もあって、豊富な運動量と守備センスが評価されて右サイドバックに置かれたのだ。昨シーズンも、FWとして一時期プレーすることがあったが、基本的には右サイドバックとして起用され続けた。
FWとはまったく別世界であるサイドバックだが、FWへの未練はないのだろうか。
「今は試合に出られて、監督に求められているものができればという感じでやっています。サイドバックをやることに楽しさを感じているので、FWをやりたいなって思いながらやっているわけじゃないです(笑)」