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小学生チーム監督、国家資格受験。
馬原孝浩が歩む誠実な第2の人生。
text by
田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph byNaoya Sanuki
posted2016/12/26 07:00
馬原にとってソフトバンク最後の試合となった2011年日本シリーズ第6戦。それ以来となる「14番」を背負って未来ある球児とともに戦う。
打たれた後でも丁寧な応対だった誠実な人柄。
そして'12年シーズン終了後、ホークスを去ることになった。
ホークスがバファローズからFAとなった寺原隼人を獲得したことに伴う、人的補償での移籍。チーム内にとっても、ファンにとっても衝撃的な出来事だった。
寺原はホークス復帰であり、以前に2人は一緒にプレーをした時期もあった。なによりともに自主トレを行う仲だ。年下の寺原の心情を、馬原は自分のこと以上に気遣っていたのを今でもよく覚えている。
「僕は究極のプラス思考だから」
馬原の口から恨み節を聞いたことは一度もない。
守護神を務めていた頃も、たとえ打たれた試合後でも、報道陣の取材には丁寧に応対した。翌日には何事もなかったように笑っている。気持ちの切り替えが誰よりも上手かった。
毎晩5時間かけたストレッチとマッサージを土台に。
昨年限りで現役を引退した。今年は一部報道でも話題になったが、現在は専門学校の学生というのが本業である。医療系の国家資格取得を目指している。
自分にしか出来ないことをやりたいとセカンドライフについて語っていた。その真意を訊ねるとこう返ってきた。
「僕がやってきたことを、やめてしまうのは勿体ないと思ったからです」
現役時代、体のケアには他のどの選手よりも気持ちも時間も使っていた。特にストレッチは中学時代から毎夜の日課だったが、故障してからはさらに入念になった。
「ストレッチやマッサージで毎晩5時間ほど。もともと独学でマスターしたやり方もあったので、僕が(専属で雇った)トレーナーに教えながら行うことも珍しくなく、余計に時間がかかってしまった面もありました」
プロ野球選手の場合、遠征中はナイター後でも外食に出かけるなど飲み歩くのは珍しくないが、馬原が外に出かけることはまずなかった。