“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
高校選手権、前回大会のスターはいま。
大学で、プロで、もがき前進する3選手。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2015/12/30 10:30
東福岡で“和製クリスティアーノ・ロナウド”として名を馳せた増山朝陽。いまはヴィッセル神戸でプロ1年目。
一般入学の無名選手から大学のスターになった菊池流帆。
3人目はこれまでの2人とは違い、高校時代を通じてさほど注目を浴びなかった選手だ。柴崎岳の母校としても有名な東北の名門・青森山田を今年卒業した菊池流帆は、今や大学サッカー界において大きな注目を浴びる存在にまで成長した。
彼は高校2年まで、全くと言っていいほど無名な存在だった。1年時には一番下のDチーム、2年時にはCチームにおり、Bチームの試合にすら出ていなかっのだたから当然のことだ。それは彼自身、入学時から覚悟をしていたことだった。
「僕は特待ではなく、一般生として入学したんです」
岩手県で生まれ育った菊池流帆は、中学生の頃、強豪・青森山田に大きな憧れを抱いていた。サッカー部のセレクションを受けに行くが、結果は不合格。一度は地元の高校に進もうと思ったが、「どうしても諦めきれなかった。落ちたことが悔しくて、見返したいという気持ちもあった」と、一般受験を決意した。
他の人間なら、別のチームに入って倒したい、と思うところかもしれないが、彼は違った。青森山田を倒して見返したいのではなく、青森山田でレギュラーをとって見返したいという固い決意があった。それはそう簡単にできる決意ではなかった。だからこそ、高校2年まで下のチームにいても、まっすぐに上を目指して努力し続けることができた。
空中戦と対人の強さに活路を拓いた。
「サイドハーフで入学したけど、僕の技術じゃ通用しない、とすぐに挫折したんです。でも絶対にここでレギュラーをとりたい。身長は180cmあったし、対人には自信があったので、コーチに『CBをやりたいです』と志願したんです。自分の生き残っていく道はそこだと思ったので」
CBに活路を見出そうとした必死の姿勢もブレイクに繋がった。毎日、チーム練習の後に、菊池はひたすらヘディングとアジリティーを鍛えた。
「僕はへたくそ。技術がない分、自分ができるのはヘッドと対人とチームのために身体を張り続けることしかないと思っていました」
この真摯な姿勢と磨き上げた武器が、ついに周りを動かした。身長は186cmにまで伸び、鍛え上げられた屈強なフィジカルを生かした空中戦と対人の強さは、黒田剛監督の眼に止まり、3年になるとAチームに抜擢された。これまで一度もAチームでプレーしたことがなかった男が、春先からCBのレギュラーを獲得した。