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青学大の“三代目山の神”誕生秘話。
神野大地と原監督が出会った5年前。
posted2015/01/05 11:10
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph by
Nanae Suzuki
2010年夏、菅平高原。
2004年に原晋監督を迎えた青山学院大学の陸上競技部は、2009年に33年ぶりに箱根駅伝の出場を果たし、この2010年には8位に入り、シード権を獲得していた。ちょうど、上昇曲線を描き始めたころだ。
青学大はこの夏に長野の菅平で合宿を張っていたのだが、同じ時期に愛知県の中京大中京高校も合宿を行なっていた。原監督は中京大の出身であり、母校の系列校ということもあって、高校生の走りを見に来たのである。
気になった選手がいた。
「ひとりだけ、大きい走りをしとる選手がいたのよ。ウサギみたくピョンピョン走っていてね。もうひと目で気に入ったね」
その高校生は、神野大地といった。
原「競争実績はないに等しい。でも、気に入った」
その夜、原監督ははじめて神野と会う。
「高校の先生に『あの子は大きくて、いい走りをしますね』と言ったら、先生が『体はまだまだ小さいですよ』と言うのよ。そしたら、本当に小さい(笑)。当時は38㎏くらいでしょう。5000mのタイムも14分50秒くらいで、競技実績はないに等しい。でも、気に入ったからウチに誘いました」
原監督から声をかけられた神野は「僕の走りを認めてもらえて、とてもうれしかったです」と当時のことを振り返る。
「原監督の人柄や、部の雰囲気も明るい感じがして、自分は青学で強くなりたいと思いました。その後もいろいろな大学の監督さんからお誘いをいただいたんですが、いちばん最初に認めてくれた青学大に、高校2年生の9月に進路を決めました」
2010年の夏、菅平でウサギのように走っていた少年。
その姿を見逃さなかった指揮官。
それが「三代目山の神」の誕生へとつながる。菅平での出会いが、2015年の青山学院大の初優勝へとつながったのだ。