プロ野球亭日乗BACK NUMBER
巨人・菅野智之、2年目の挫折と復活。
在りし日の原貢が語った「原家の血」。
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph byNaoya Sanuki
posted2014/09/29 11:30
菅野智之、ルーキーイヤーにあげた13勝まであと1つ。そしてそれは、ハーラートップを走るメッセンジャーに並ぶ勝利でもある。
菅野の話をしたわずか5日後……。
その貢さんが気にしていたのは、4月の登板での投球数の多さだった。
初めての開幕投手を任された3月28日の阪神戦は7回98球で大役を果たした。2試合目となった4月4日の中日戦では8回で130球を投げ2勝目を挙げている。その後も10日の広島戦では108球を投げ2失点だった。16日のヤクルト戦は97球で7回降板したが、22日のDeNA戦では完投して142球を投げて4勝目をマークした。
「『いくか』と聞かれれば、あの子は絶対に『いきます!』と言う。そういう性格なんですよ」
ぎょろっとした大きな目を見開いて貢さんは続けた。
「自分が投げているときはとにかく完投したい。自分がムリをしてでも、リリーフの負担を軽くしたい。そういうことを考えるんです。ただアマチュアならいいけど、プロの世界は違う。しかもまだ開幕したばかり。これから長いシーズンを考えたら、ホントは今はムリをしてはいけないんだけどね」
こう菅野のシーズンを心配していた。
貢さんと話をした日のヤクルト戦でも、菅野は120球を投げて完投勝利を挙げた。8回が終わった時点で投手コーチに「いけるか?」と聞かれ、右腕の答えは「いけます」だったという。
そして試合前に話をしたわずか5日後の5月4日、貢さんは心筋梗塞と大動脈解離で倒れ、20日余の闘病の末、29日に帰らぬ人となってしまった。
重い責任の“反動”が夏場に。
「今年は開幕投手を任せてもらった責任もあった。試合に対する責任、周りのハードルも上がっていく中で、ケガで1カ月も離脱してチームにも迷惑をかけてしまった。とにかく苦しかったです」
9月26日。横浜スタジアムでリーグ3連覇となる優勝を決めた菅野は、静かに2年目のシーズンを振り返った。
本人も語るように、重い責任を背負い続けた“反動”が出たのは夏場だった。