ブラジルW杯通信BACK NUMBER
露にした感情、勝負観、代表引退。
内田篤人が見せたもの、語ったこと。
text by
寺野典子Noriko Terano
photograph byGetty Images
posted2014/06/26 16:30
右脚にはいまだにテーピングが巻かれているが、それを全く感じさせないプレーで攻守ともに誰よりも自らの持てるものを発揮した内田篤人。
「来るまでに決めてやろうかと思ったけど」
日本代表は、9月には新監督のもとで新たなスタートを切る予定だ。そのメンバーに選ばれたとき、その答えを出すのだろうか?
「どうなんですかね。それもひとつの手かもしれないし。この取材が終わって、部屋へ戻る間に思いつくかもしれないし。この取材に来るまでに決めてやろうかと思ったけど、全然決まらなかった(笑)。いつまでに決めるとかも全然決めていない。
こうやって(公に)言うっていうことは、すごく影響力もある。そういうのを理解したうえで、言っているつもり。これで逆に『やります』と言ったら、もう辞められないからね。追い込むにはもってこいだと思っている。もうやるしかないっていう」
内田が自身のキャリアから“日本代表”を消すことを考えてみようと思った理由は、身体のことだけではないだろう。その真意のすべてはわからない。ただ、南アフリカ大会からの4年間、「どうしてもやりきれない」と感じた時間があったからこそ、そういう発想にたどりついたのかもしれない。「辞める」という決断もひとつの選択肢だと考えることで、乗り越えられた日々があったのだろう。
それくらい、内田にとってこの4年間が濃い時間だったということだ。
勝負の場があれば、迷いなくそこへ飛び込んでいく男。
そしてたどり着いたW杯。この結果が決断に影響を及ぼすことは必然だろうが、ブラジルで味わったこの想いを「このままで終わらせる」ことを許さないかもしれない。
秘めていた想いを公にすることで、次の大会までの4年間をさらに濃密なものとするための覚悟を、自身に問うているような気がする。
「ああ終わったなって。勝負の世界は勝ち負けがでるからしょうがないなとは思うけど、なんだろう目標とか夢とかを、下の世代にたくすのはどうかと思うんだけど……」
冒頭で紹介したベンチからスタジアムを見渡していたときのことを訊くと、内田はそう答えた。
16歳で初めて日の丸をつけたときから、いつかは立ちたいと夢に見ていたW杯のピッチ。1勝もできず、そこを去ることが決まった。
今後も日の丸を背負う覚悟ができるのか?
その問いの答えは、もしかしたら、この先ずっと出ないままなのかもしれない。
その答えを出す必要はないのかもしれないとすら思う。
「疲れた」とか「痛い」とか、絶対に言えない男。
目の前に勝負の場があれば、迷いなくそこへ飛び込んでいく。
それが、ハイプレッシャーの舞台であればあるほどに、静かに燃える。
それが内田篤人なのだから。