ブラジルW杯通信BACK NUMBER
露にした感情、勝負観、代表引退。
内田篤人が見せたもの、語ったこと。
text by
寺野典子Noriko Terano
photograph byGetty Images
posted2014/06/26 16:30
右脚にはいまだにテーピングが巻かれているが、それを全く感じさせないプレーで攻守ともに誰よりも自らの持てるものを発揮した内田篤人。
試合終了の笛がスタジアムに響くと、ソックスをおろし、靴ひもを外した。
ピッチ中央に集まるチームメイトとは違う方向へと、内田篤人は歩いていた。そしてベンチの中央に座り、スタジアムをしっかりと見渡したあと、下を向いた。その肩が震えていたかまでは、わからない。
しかしチームスタッフに肩を抱かれ、スタンドのサポーターの元へ挨拶に向かうために立ち上がった内田は、その腕で顔をぬぐった。サポーターの前で深々と頭を下げたあとは、最後まで顔をあげられなかった。しばらくは、頭を垂れたままだった。
「どうしても勝ちがないと、報われない気はする。でもまあサッカーやってきて、そういう努力というのは、報われないことのほうが多い。それが、勝負の世界かなという気がしますけど。報われるときなんて、優勝するときしかないんだから。
決勝で負けようが、準決勝で負けようが、準々決勝で負けようが……。トップに立たなければ、努力は報われないなと思っている。そっちの経験のほうが断然多いし、しょうがないかなという気がするけど」
W杯敗退が決まったコロンビア戦翌日、内田はさっぱりとした顔で言った。
「まだ任せられない」と出場できなかった南アW杯。
正論を口にし、自身の心の揺れは見せない。いつもの内田がそこにいる。
2010年のW杯南アフリカ大会では、直前に長く務めていた先発の座を失った。守備的に戦うと決めた指揮官はのちに、「内田にはまだ任せられない」と判断したと語っている。
初戦に勝ち勢いを手にしたチームの中で、内田はただそこにいるだけで精一杯というように見えた。大会中にポジションをとりかえすよりも、大会後のことへと気持ちを切り替えようとしていたのだろう。大会後にはシャルケへの移籍が内定していた。決勝トーナメント一回戦で敗れ、岡田ジャパンが解散すると、短い休暇を経てドイツへ渡った。南アフリカで描いていた未来へ、足を踏み出すために。