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競馬の固定観念を変えた美形の名馬、
エアグルーヴが残した偉大なる足跡。
text by
島田明宏Akihiro Shimada
photograph byKeiji Ishikawa
posted2013/04/26 11:50
1997年の天皇賞・秋。単勝オッズ4.0倍の2番人気で出走したエアグルーヴ(写真左)は、最後の直線で前年覇者の1番人気・バブルガムフェローとの壮絶な叩き合いを制しクビ差で先着。同レース、牝馬として17年ぶりの勝利を収めた。
クリッとした目と、派手な流星が人目を惹いた。均整のとれた馬体は、手を触れずともなめらかな肌触りであることがわかるほど美しかった。
美形のアスリート、エアグルーヴ。可憐なルックスからは想像もつかないような末脚の破壊力を武器とし、数々の栄光を手にした名牝、いや、牡牝の別を超越した「名馬」であった――。
4月23日午後11時ごろ、エアグルーヴ(牝20歳)が繋養先の北海道安平町早来のノーザンファームで、出産後の内出血のため死亡した。その3時間ほど前に2004年のダービー馬キングカメハメハを父とする牡馬を出産し、母仔ともに無事を確認された矢先のことだった。
仔馬に母乳を与えるなど、これまでの産後と変わらぬ様子だったのだが、馬房のなかで倒れ、そのまま息を引きとった。
ノーザンファームの吉田勝己代表は、「母仔ともに元気な姿を確認して間もなくの訃報に声も出ませんでした。現役時の活躍をはじめ、繁殖牝馬として当牧場で一番の実績を挙げた名馬で、まさにノーザンファームの歴史の中心にいた馬でした」と偉大な牝馬の死を悼んだ。
伯楽が、誕生直後のエアグルーヴから受けた衝撃。
エアグルーヴは1993年4月6日、社台ファーム早来(現在のノーザンファーム)で生を受けた。父は、'93年の桜花賞馬ベガや同年のダービー馬ウイニングチケットなどを送り出したトニービン、母は'83年のオークス馬ダイナカール。
エアグルーヴを管理した調教師(当時)の伊藤雄二が、誕生直後の同馬を見て衝撃を受けたというエピソードはつとに知られている。伊藤は、『戴冠 エアグルーヴ写真集』(イースト・プレス)に寄せた文章で次のように振り返っている。
<何万頭もの競走馬を見てきたけれども、この出会いだけは生涯忘れることはできないだろう。ただ、残念なことに、生まれたばかりのエアグルーヴの眼と、私の眼があった一瞬を説明するだけの言葉を私は知らない。「衝撃」「感動」……とにかく「凄い」のひと言だった。調教師としての感性が、とてつもないエネルギーで突き上げられた瞬間と言っていいだろう>
'95年にデビューしたグルーヴは、翌'96年、桜花賞を直前の熱発で回避したが、母娘制覇のかかったオークスを快勝。その後、秋華賞のレース中に骨折して惨敗するなどのアクシデントを乗り越え、古馬になってさらにスケールアップした姿を見せた。
復帰戦となった'97年6月のマーメイドステークス、つづく札幌記念を勝ち、牝馬同士のエリザベス女王杯ではなく、一線級の牡馬が相手となる天皇賞・秋に駒を進めた。