F1ピットストップBACK NUMBER
真のF1ドライバーは衰え知らず……。
小林可夢偉に「ブランク」の影響は!?
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph byHiroshi Kaneko
posted2013/01/25 10:30
グランプリのコース上、ひとり佇む可夢偉は何を思う――。その熱く、クリエイティブな走りを、世界中のF1ファンがもう一度見たいと願っている。
真のレーシングドライバーであれば、できるはず。
そこでチームはTカーをまずアロンソに渡した。
アロンソなら、1回のアタックで107%を楽にクリアできると信じていたからだ。なぜなら、真のレーシングドライバーであれば、乗ってすぐ速さを披露できるからだ。
アロンソが1回だけのアタックで、基準をクリアできれば、残りの時間はすべてユーンのアタックに回すことができる。アロンソはその期待に見事に応え、1発で想定していたタイムを刻む。そして、それ以上タイムを上げるチャンスを放棄して、ユーンのためにピットに帰還したのだ。
ピットに帰ってきたアロンソはコクピットを降りて、Tカーをユーンへ明け渡した。チームが下した判断に不満をぶちまけるどころか、ガレージの後部に置かれている棚の上に座ってチームメートの走りを見つめていた。
ユーンも仲間たちの期待に応え、107%をクリア。アロンソの存在感の大きさを示したグランプリだった。
アロンソは浪人期間を経て、史上最年少記録を樹立した。
それでも、アロンソは'02年に希望していたチームへステップアップすることができず、1年浪人することとなったのだ。
それを薦めたのは当時、アロンソのマネージャーだったフラビオ・ブリアトーレだった。
ブリアトーレはロータスの前身であるルノーのチーム代表も務めており、不振だったジェンソン・バトンに代えて、子飼いのアロンソを自チームのレースドライバーに抜擢する力があったものの、あえてレースドライバーではなく、テストドライバーとしての道を歩ませる決断を下した。
その決断が間違いでなかったことは、レースドライバーに復帰した翌年のマレーシアGPで当時史上最年少でポールポジションを獲得し、ハンガリーGPでは当時の史上最年少記録を更新して優勝したことが証明している。