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真のF1ドライバーは衰え知らず……。
小林可夢偉に「ブランク」の影響は!? 

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尾張正博

尾張正博Masahiro Owari

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photograph byHiroshi Kaneko

posted2013/01/25 10:30

真のF1ドライバーは衰え知らず……。小林可夢偉に「ブランク」の影響は!?<Number Web> photograph by Hiroshi Kaneko

グランプリのコース上、ひとり佇む可夢偉は何を思う――。その熱く、クリエイティブな走りを、世界中のF1ファンがもう一度見たいと願っている。

 ある元F1ドライバーに「1年間、レースをしないというブランクは、F1ドライバーとしてどれくらいのハンディキャップになるのか?」と尋ねたことがある。すると、その元F1ドライバーは、こう答えた。

「1年間だったら、問題ない」

 その言葉が嘘でないことは、何人かのF1ドライバーが浪人生活を経て、再びレースシートを獲得している事実が物語っている。その中のひとりが、フェルナンド・アロンソである。

 アロンソがF1にデビューしたのは'01年。それでも、アロンソのF1活動は最初から順調だったわけではない。

 デビューイヤーに所属していたミナルディというイタリアのチームは慢性的に資金難に陥っており、'01年のマシンの戦闘能力は著しく低かった。その典型的なグランプリがチームにとって母国グランプリとなったイタリアGPである。

自ら進んで犠牲を申し出た、若き日のアロンソ。

 午前中のフリー走行でトラブルに見舞われたミナルディは、2台のマシンともギアボックスを交換して午後の予選に臨んだ。ところが、予選が開始されて、アロンソがコースインすると、ギアボックストラブルが再発。トラブルはアロンソだけでなく、チームメートのアレックス・ユーンのマシンにも発生してマシンはコース上にストップしてしまう。

 当時のF1は3台目のマシンとして、Tカーがガレージに準備されていた時代。トラブルがあれば自由に使用することはできたが、1台しかないため、2人が同時に使用することはできない。限られた時間の中で2人がそろって予選を通過するためには、どちらかがある程度の犠牲を受け入れなければならないのである。

 そして、その犠牲を受け入れたのがアロンソだった。というのも、ユーンはマレーシア人として初めてF1ドライバーになったばかりで、予選通過の基準となるポールポジションのタイムから107%以内に入るのが難しい状況だったからだ。


【次ページ】 真のレーシングドライバーであれば、できるはず。

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