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<甲子園エースという人生> すべてはあの夏から始まった。~正田樹/寺原隼人/吉岡雄二/大野倫~
text by
城島充Mitsuru Jojima
photograph byHideki Sugiyama
posted2012/08/14 06:00
「甲子園優勝投手」という肩書きの重荷を乗り越えて。
さらに甲子園優勝で、正田は一躍「時の人」になった。ドラフト1位で日本ハムに入団すると、前年の優勝投手でプロでもいきなり16勝をあげた松坂の活躍と重ねて期待された。正田自身も「松坂さんとは器が違う」と思いながら、抱負を聞かれるとこう答えた。
「できれば開幕から一軍に入りたい。そして二ケタ勝利を狙いたいです」
だが、プロは甘くなかった。1年目、2年目と勝ち星に恵まれない。誰もが望む栄光と勲章が、ときに棘になって自らを苦しめることを正田は身をもって知った。
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「常に松坂さんと比べられちゃうんです。甲子園優勝投手という肩書きを重荷に感じることもありました。ふっきれたのは3年目。9勝をあげて新人王を獲ったときです」
「クビになっても、次に野球ができる場所を探せばいい」。
だが、それからも順風満帆な投手生活を送れたわけではない。'07年に阪神へトレードされると、一度も一軍のマウンドに立てないまま戦力外通告を受けた。その後は台湾球界でプレーし、ドミニカのウインターリーグにも参戦した。レッドソックスとマイナー契約を結んでメジャーを目指したこともある。昨年は日本の独立リーグであるBCリーグ・新潟のマウンドで投げた。
「一度は戦力外になっても、まだまだできる。そのことを伝えたいし、後から続く選手がいることを意識してやっていきたい」
その言葉には、甲子園で優勝しても持ち得なかった強い自負がにじむ。「クビになっても、次に野球ができる場所を探せばいい。僕はそうやって新しい場所でなにかを吸収してきました」とも、正田は続けた。
「確かに甲子園は特別でしたが、その後も同じような緊張感や歓喜を味わった瞬間はありました。それを一度でも多く味わいたい。だから、投げ続けているのかもしれません」