欧州サッカーのサムライたちBACK NUMBER
なぜ槙野智章は帰国を決断したのか?
志半ばでドイツを去る無念と覚悟。
text by
了戒美子Yoshiko Ryokai
photograph byBongarts/Getty Images
posted2012/01/16 10:30
「恩師であるペトロビッチ監督の下、ドイツでの経験を活かし、浦和レッズの選手とスタジアムを埋め尽くす浦和サポーターの皆さんと共にチームの勝利に貢献したいと思います」とコメントを発表した槙野智章
なぜ槙野はソルバッケンに評価されなかったのか?
なぜ、槙野はソルバッケンに評価されず、移籍を余儀なくされたのか。
生活面の問題はなかったし、言葉は片言でもピッチ内で不便を感じるほどではない。確かにチーム内での緊密な人間関係という話になると、不可抗力の要因もあっただろう。だが、それ以外に彼自身にも原因があったのではないか? 少々辛辣ではあるが、率直にそんな疑問をぶつけてみた。
「そうだよね、あると思う。監督の求めるプレーを出来なかったということだと思うし、監督からもそう言われた。完全に最終ラインをオーガナイズしてサッカーしたいのに、オレが時々攻撃的な姿勢を見せることも良くなかったみたい」
結局最後までソルバッケンとは正面からぶつかることもなく、試合メンバーから外されるという形だけで、その意思を確認することになった。
一方で、浦和の監督を務めていた時代から槙野を高く評価していたフィンケ・スポーツディレクターは、その攻撃性をストロングポイントのひとつとして捉え、大いに買っていた。だが、その点がソルバッケンの下でプレーするにはマイナス評価にさえなったのだ。
ソルバッケンを呼び寄せたのもフィンケ自身だったことから、フィンケからは槙野に謝罪の言葉もあったのだそうだ。ただ、そのストロングポイントを差し引いてしまうと、肝心な時に監督の思い通りの良いプレーができなかったことも、また事実だったということだ。
実戦を通じて自信と体力を取り戻すべく、自ら移籍を決意。
槙野が、今回の移籍にあたって何よりも重視したのは「自分のプレーへの自信回復」だ。
「ただ試合に出るのではなく、自分のプレーを貫いて結果を出す。チームメイトから頼りにされたいし、広島時代のような感触を取り戻したい」
プレースタイルを度外視するなら、ドイツ国内から複数のオファーを受けていた。ただ、下位のチームで超守備的なプレーをすることでは自分の良さが発揮されない。どうしたら良いか、考える中で浮上してきたのが浦和だった。
「(ミハイロ・)ペトロビッチが熱心にオファーしてくれて。最初は日本に帰るなんてないと思っていたけれど、もしかしたら良いかもしれないなと思えてきた。ドイツ国内の移籍も良かったかもしれないけれど、それはそれでリスクがある。自信と、自分のプレーを早く取り戻すためにどうしたら良いかを考えた」
次いで、取り戻さなくてはならないのは、ゲーム体力だ。
昨年10月、キリンチャレンジカップのベトナム戦で起こした両足けいれんで、実戦不足なのを日本中にさらすこととなってしまった。
「あのときは、両足だけじゃなくって、いろんなところがつっちゃった。やっぱりあれで、移籍するなりして試合にでなくちゃって思った」
移籍を考えるひとつの契機となった。