野球善哉BACK NUMBER
楽天・田中将大と広島・前田健太。
邂逅の日を待ちわびる2人のエース。
text by
氏原英明Hideaki Ujihara
photograph byHideki Sugiyama
posted2012/01/05 10:30
ふたりの沢村賞受賞コメントは以下の通り。「まだまだ歴代の方、現役でやっている沢村賞をとった方に実力的に及ばないと思う」(前田健太・写真左)。「僕の中では、投手のタイトルで一番大きい物はこの『沢村賞』と捉えていました」(田中将大)
世代最高の投手となった田中と前田の間の距離は……。
チームの代が変わっても田中の注目度は上がり続けた。日々増幅してゆく周囲の期待に、田中は応え続けたからだ。エースとキャプテンを兼務し、チームを2年連続の全道大会優勝に導き、さらには神宮大会を初制覇した。
田中のピッチングを見た甲子園3度優勝の名将・高嶋仁監督(智弁和歌山)はこう言ったものだ。
「神宮大会が終わってから、田中を意識して、バッティングマシンを150キロのストレートと140キロのスライダーに設定して打ちこんだ。田中を打てんと全国で1番にはなれんから、全国で1番のピッチャーを打つ練習をした」
田中は世代最高と呼ばれるピッチャーになっていた。
前田との立ち位置は、大きく変わっていたのである。
'06年のセンバツは駒大苫小牧が不祥事で出場辞退に。
ただ、すれ違っていた2人の距離が、ほんの少しだけ、近づいた時があった。
'06年春、2人がセンバツ切符を手にしていたからである。
田中が神宮大会を制する少し前、一方の前田も、近畿大会でベスト4に入り、センバツ出場を手中に収めていた。
田中と前田が同じセンバツの舞台に立つ。大会が始まる前に2人の対決に注目した当時のメディアは少数ではなかったし、個人的には同世代で最初のデビューを飾った前田が世代最高ピッチャーと称された田中に立ち向かっていく姿を大舞台でみたいと思ったものだ。
ところが……。
大会を前にして、駒大苫小牧の不祥事が発覚。田中らの学年に責任はなかったが、事態を重くみた学校側の判断で出場を辞退。あと一歩のところで、2人の対決は実現できなかった。
高校3年間で田中は3度、前田は2度甲子園に出場したが、2人は対決はおろか、同じ舞台に立つことすらなかったのである。