黄金世代、夢の行方BACK NUMBER
小野伸二、代表への想いも募る……。
稲本の運命と交錯したJ復帰の現場。
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph byKeisuke Koito/PHOTO KISHIMOTO
posted2010/04/02 10:30
「なんとか勝ち点1を取れてホッとした」
稲本潤一は、安堵の表情を見せた。
「勝てる試合だったので残念だった」
小野伸二が厳しい表情で、答えた。
ふたりが並んで、試合後のインタビューに答えている。
それは、ちょっと奇妙な光景だった。
ふたりがいるのは、いつもの日本代表のミックスゾーンではない。青空が眩しい等々力競技場のピッチ上。しかも二人が身にまとっているのは、日本代表の青いユニフォームではなく、稲本は背番号20の黒と青のユニフォーム、小野は背番号30番の白色のユニフォームだった。
3月27日、Jリーグ第4節、川崎フロンターレ対清水エスパルス戦、稲本はガンバ大阪、小野は浦和レッズ時代に対戦した1998年5月2日以来、4347日ぶりに、ふたりはJでの対面を果たした。
小野も稲本も一緒に世界レベルを知り海外移籍を実現した。
1999年ナイジェリア・ワールドユースで刺激を受け、世界に飛び出たのは、奇しくもともに2001年の夏だった。稲本はプレミアリーグのアーセナルへ、小野はオランダのフェイエノールトに移籍し、海外でのキャリアをスタートさせた。以降、小野は2006年から2年間、浦和に復帰するもののトータルで7年間、稲本は約9年間、海外でプレーし続けてきた。そして、今季、稲本はフランスのレンヌから川崎に移籍し、小野はドイツのボーフムから清水に移籍してきたのである。
小野は、南アフリカW杯イヤーでの国内復帰だが、これは2006年ドイツW杯の時に浦和に復帰したのに続き、2度目のW杯イヤー復帰になる。
「ドイツW杯の時は、ワールドカップに専念したい気持ちもあったし、そのための環境としては日本がいいかなって思って移籍したけど、今回は別にワールドカップを意識しての移籍じゃないんでね」
小野は、訝る声に、そう答えた。
「もちろんワールドカップに出たいけど、今の俺は、そういう状況にない。代表は、ドイツ以降1回しか呼ばれていないし……」
小野の雄姿が最後に代表で見られたのは、2008年の8月20日、ウルグアイ戦だった。2年2カ月ぶりの代表復帰で、岡田監督の期待を受けて左攻撃的MFに起用されたが、思うような活躍ができず、1-3で惨敗した。それ以降、代表から遠ざかっている。
「代表でプレーしたい気持ちは、もちろんあるけど」
代表に対してはクールなポーズを取るが、シドニー五輪代表落選の時は涙を流して悔しがった男である。日本代表の中心選手としてフランス大会からドイツ大会まで3大会連続して出場してきたプライドもある。簡単に、代表を諦めるとは思えない。
「代表でプレーしたい気持ちは、もちろんあるけど、そのためには、チームで結果を出すことが先でしょう。新しく代表に呼ばれた選手は、みんな結果を出している。俺も清水で結果を残さなければ、その権利はないし、みんなも納得しない。とにかく、今は清水でやるしかないんだよね」