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荒川静香を救った一言。 

text by

田村明子

田村明子Akiko Tamura

PROFILE

posted2007/01/11 19:54

 誰かの携帯電話が鳴っている。

 と思ったら、自分のカバンの中から聞こえてくるのだった。もともと私は携帯電話というものが苦手で、イタリアで使うために借りたレンタル電話の呼び出し音にも、まだ慣れていなかった。

 「お疲れ様です。どうですか、そちらの様子は?」

 編集部の五輪デスク、A氏からだった。現地時間で夜の11時。日本は早朝である。五輪開催中はトリノ時間で生活しています、と言っていたのは冗談ではなかったのだ。

 「練習を見る限り、荒川はかなりいいです」

 「メダルには届くでしょうかねえ……」

 すでにもう何度も交わした会話だった。

 「いつものように滑ったら、銅は確実に取れます。でもこればっかりは何とも。普段通りにいかないのが、五輪ですから」

 トリノ五輪が開幕して10日が過ぎたが、日本はまだメダルを獲得できていなかった。テレビの視聴率も日々落ちているという。A氏の電話の声も、日々元気がなくなってきていた。

 「次号のタイトルは、『惨敗の理由』でいこうかと思っているんですよ……」

 すでにヤケクソ状態に近い。

 「絶対に荒川がメダルを取るとはお約束できませんが、私は大丈夫だろうと思っています」

 もちろんこれは気休めにすぎず、私が保証してどうなるわけではないことはお互い承知の上である。

 「明日3人が会見をするそうですから、またご報告します」

 私はそう告げると、電話をきった。

 五輪の取材は、メディアにとっても長丁場である。途中で1日くらいミラノで息抜きをしようと企んでいた私は、現場についてそれがいかに甘い考えだったかに気がついた。

 フィギュアスケートはペアから開始され、女子で終わる。大会のハイライトとされる女子が終了するまでは、試合がある日もない日も公式練習にはりつき、会見があると言われたらすっ飛んでいかなくてはならない。

 何人かで連携プレーをしている新聞社と違い、一人で本番用リンクと練習用リンクの公式練習、MPC(メインプレスセンター)での会見をカバーするのは、移動だけでもかなりの重労働だった。

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