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荒木絵里香 ロンドンで勝つために。
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph byMichi Ishijima
posted2008/11/06 21:09
北京オリンピック終了後の9月、全日本女子のセンター荒木絵里香はイタリア1部リーグ・セリエAのベルガモへ移籍した。
ベルガモは北部ロンバルディア州にある人口12万人弱の小さな文教都市。クラブは過去15年間で欧州チャンピオンズリーグ制覇5回、4連覇を含むセリエA優勝7回を誇り、レフトのピッチニーニやセッターのロ・ビアンコなどイタリア代表6人を抱える名門チームだ。欧州サッカーで言えばACミランやユベントスのような存在である。
世界最高峰リーグとされるセリエAは、全14チームによる来年4月までのレギュラーシーズンの後、プレーオフで優勝を争う。その間、国内外のカップ戦である欧州チャンピオンズリーグやイタリア杯も同時に戦うタフな7カ月が荒木を待ちうけている。
セリエAに挑む5人目の日本人選手となる荒木に胸中を聞いた。
──海外でプレーしたいと思うようになったのはいつぐらいから?
「春高で優勝した高校2年生の時に、将来はバレーボール選手として生きていこうと決めました。それまでは、大学に行こうと思っていたんですけど、春高で勝ってからこんなにいい思いができるんだったら、もっとバレーをやりたいと思いました。やるならちゃんとやりたいから、全日本に入ってオリンピックに行くことと、海外でプレーすることが大きな目標になりました。本当はもっと早く19、20歳で海外に行きたかったんですけど。
北京五輪最終予選で韓国に勝って出場が決定した後、帰りのバスに乗った時に『ベルガモからオファーがきたぞ』と所属チームの東レのスタッフから電話をもらったんです。オリンピック出場と海外移籍、自分のバレー人生の中で大きな目標が両方一気に実現して、『やったー!』って舞い上がりました(笑)」
──不安や迷いはなかった?
「少し迷いはありました。ベルガモは強豪チームなのは知っていたので、選手層の厚さを考えると出場するチャンスがどうかな、ということは心に引っかかりました。
ただ、東レの恵まれてる環境の中で、5年プレーしてきて、それに慣れすぎてしまった自分を感じていました。ポジションがあって、チームの中心としてどうやればいいとか、言い方は悪いですけど、楽に試合ができるようになっていた。それより、もっと辛くなるかもしれないけれど、より高いレベルのちがう環境でやりたかったんです。Vリーグではよくても、全日本として世界のトップ相手に戦ったときに通用しない自分を知って、それを超えたいという思いもすごくありました」
──北京五輪で世界のベストブロッカーになっても、世界で通用するにはまだまだだと?
「はい。ここまではいける、という手応えもなくはないんです。でもブラジル、アメリカ、キューバ、中国、イタリアのような外国勢と比べたときに、絶対的にセンターとしての“存在感”で負けている。高さとかリーチでは仕方のない部分はあるけれど、ブロックの読みだったり、スパイク決定力の高さで相手に私を怖い存在だと思わせないと、全日本として勝つのは難しい。本当に互角に戦えるようになりたいんです」
──ベルガモに来て1カ月がたちました。
「私以外ほぼ全員がイタリア人なので、監督からの指示も含めて、イタリア語でのコミュニケーションが本当に大変です。正直、今はバレーボールどうこうよりも、私個人の生活やチームの行動についていくことで精一杯になっているところはあります。東レにいた頃は、工場敷地の中に練習場も寮も食堂もあって、生活圏は半径100mでした。門限10時ですよ(笑)。6畳一間で3食、お風呂も全部あってという生活だったんですけど、今はアパートに帰って電球1個替えるのにも苦労してます」
(以下、Number715号へ)