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玉田圭司 「遅れてきたレフティ」 

text by

神誠

神誠Makoto Jin

PROFILE

posted2004/06/03 00:00

 そのゴールが決まった瞬間、ひとりテレビ画面を凝視していた私の脳裏には、確かに“あの”フレーズが聞こえていた。

 タマダケージ、タマダケージ、タマダ、

 ゴー・ゴー・ゴー・ゴー・ゴー、

 タマダケージ、タマダケージ、タマダ、

 ゴー・ゴー・ゴー・ゴー・ゴー!

 柏レイソル担当として何度も目の当たりにしてきたゴールと、湧き起こる称賛のコール。ただひとつ、いつもの光景と違っていたのは、彼がイエローではなくブルーのユニフォームを着ていたことだ。

 日本代表の東欧遠征、ハンガリー戦。国内組中心のメンバーで臨んだこの試合、2点ビハインドの劣勢から、反撃開始を告げる一発を決めたのが、代表2戦目の新参者、玉田圭司だった。生中継のリプレーやVTRを合わせると、ゆうに10回以上は見返しただろうか。右サイドを抜けた久保からの折り返しを、中央で本山が身体を投げ出し左の玉田へ。トラップが跳ねた分きわどいタイミングになったが、飛び出してきたGKより一瞬早く左足を伸ばし、無人のゴールへと流し込んだ。

「点を取るまではあまりいいプレーができてなかったけど、あそこで結果を出せたのが大きい。代表としての第一歩になると思う」

驚くのはまだ早い。すごいのはこれからだ。

 確かにそれは、“日立台のエース”が日本代表にその名を刻んだ、晴れの瞬間だった。だが、彼をよく知る“日立台の住民”たちは、むしろこの光景を平然と受け止めたに違いない。なにせ彼らの記憶には、昨年彼がJリーグで記録した、11ものゴールが刻まれているのだから。その大半を目撃した者のひとりとして、あえて言っておこう。「驚くのはまだ早い。本当にすごいのはこれからだ」と。

 とにかく、玉田圭司の2003シーズンは自身も認める最高の一年だった。1999年の入団ら'02年までの4年間で、Jリーグ通算25試合3得点だった彼が、'03年だけで28試合に出場。一気に2桁の11ゴールを挙げ、得点ランキングでも10位タイに食い込んだ。しかも、日本人選手に限ればこの数字は三本の指に入り、上にいるのが久保、大久保(ともに16ゴール)という、その時点ですでにA代表を経験していた二人なのだから、W杯予選・シンガポール戦からの玉田招集は、まったく順当と言ってよかった。

「試合に出る機会があればやれる自信はあった。ただ今までは、そのチャンスを与えてもらえなかっただけ」

 それはJリーグでの活躍が話題になるたびに、玉田が淡々と繰り返してきた定番のコメントだが、今ならそっくり日本代表の文脈に置き換えてみても、十分うなずける内容である。彼に足りなかったものは、きっとチャンスだけだったのだ。

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