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玉田圭司 「遅れてきたレフティ」
text by
神誠Makoto Jin
posted2004/06/03 00:00
玉田がJの舞台でブレイクするきっかけをつかんだのは、チームが予期せぬ残留争いを経験した― '02シーズン後半のことだ。チームのワースト記録を更新する連敗にあえいでいた柏レイソルは、第2ステージからブラジル人のマルコ・アウレリオを迎え、大幅な方針転換を図っていた。指揮官の愛弟子・リカルジーニョが軸となり、中盤のスタイルは一新。前線にもブラジル人が加わり、個人能力重視の“フチボル”へと切り替わっていった。
「とくに攻撃に関しては、選手のタレント性やテクニックが重要になる」
組織よりまず個性ありきというアウレリオ流の選手起用によって、まもなく玉田という埋もれた原石が見出されることとなる。ブラジル人にも引けを取らない、抜群のボールコントロールを誇るこの俊足レフティを、2列目の左サイドというポジションに据えつつも、型にはめることなく最大限の自由を与えた。もう一人のブラジル人とともに、指揮官が渋く「将棋の“飛車角”」に喩えたこのポジションで、彼は文字通り縦横無尽の働きを見せ、攻撃陣の柱へと成長した。
「ポジションを限定されると持ち味が出ない。できることなら常に自由にやりたい」
そう言ってはばからない玉田という型破りの才能を、アウレリオはあえて放任することで磨き上げたのだった。レイソル担当時代にはアウレリオの批判ばかりしていたが、彼が全幅の信頼を置いて玉田を使い続けてくれたことに、今は心から感謝している。
「タマダは非常に良い選手。何でも吸収するし、おごらずマジメに練習していけば将来代表だって狙える。もっとレベルの高い選手になることもできるだろう」
ゴールという目に見える結果を出し始めるだいぶ前から、アウレリオは玉田をそんなふうに評価してもいた。今思えば、これが誰よりも早い代表入りの予言だったかもしれない。
そしてもう一人、玉田の躍進を信じて疑わなかった人物がいる。今年からチームを率いるレイソル一筋の池谷友良だ。'99年の入団以来、玉田を最も身近で見続けてきたこの男は、あっさりと言ってのけた。
「昨シーズン一気に開花した感があるけど、実際は『やっと出てきたか』という感じ。サテライトにいるときから、トップで出ればあのくらいはやると思っていた」
事実、'02シーズンの第1ステージ終盤、監督代行という形で2試合だけ指揮を執った池谷は、そのいずれにも玉田を先発フル出場させている。わずか90分ながら、そこでもたらされた自信の効果は絶大だった。
「あのとき使ってもらったことが僕の転機」