福澤達哉さんが現役バレーボール選手の本音を引き出す動画シリーズ「Number Volleyball Night」。シリーズ15回目は、イタリア、セリエAでの初シーズンを終え、帰国中の大塚達宣選手に登場いただきました。
ミラノから帰国後、大阪ブルテオンの一員としてアジアチャンピオンズリーグに出場。日本代表の活動をする直前のインタビューとなり、超ハードなスケジュールでしたが、大塚選手の表情に疲れは見えません。福澤さんが「もう今すぐにもバレーやりたい?」と声をかけると、
「はい、もう、なんか…ウズウズしてます!」
との答えが。オフがほしいという気持ちも芽生えなかったそうです。

二人は、洛南高校と大阪ブルテオン(当時はパナソニック パンサーズ)で先輩後輩、日本代表でも共闘。さらに、パンサーズで福澤さんの背番号「15」を託されたのが大塚選手という特別な関係です。
初めての海外挑戦となったイタリアでのシーズンは、渡航から約1カ月後に腹筋の肉離れというアクシデントに見舞われ、離脱を余儀なくされました。それでも大塚選手は「帰りたいとは思わなかった」と言います。
「なってしまったものはしょうがないので、強くなって戻るしかないな、という気持ちのほうが大きかったです」
大塚選手がイタリアに渡って改めて気づいたのが、貪欲になることの重要性だ。
「バレーボールにおいて、冷静に考えるのは大事だと思っています。貪欲になるところもすごく大事だと思っていたのですが、そのハングリーな面では日本人よりイタリア人のほうが強いと感じました。チームの中でも自分が試合に出たい、という気持ちがより前に出てくる。そういうメンバーと一緒にやるなかで、自分自身も現在置かれた立場や今後のことに対して、より貪欲になった実感があります」
また、ミラノといえば、昨シーズンまで石川祐希選手がプレーしていたチーム。福澤さんの「ユウキ・イシカワの残像は感じたか?」という質問に、大塚選手はこう答えました。
「正直、それについては行く前から考えていました。チームとしては日本人選手が続くので、比べられることがあるのかなと。でも、そこは考えないようにしました。自分は石川選手とはバレーにおいても、人柄、性格においても全く違う。なので、“大塚達宣”を一からチームに愛してもらえたらと思いましたし、『ユウキはこういうやつだけど、タツはこういうやつだな』という違いを分かってもらいたかった。今シーズン一番よかったのは、目標としていた自分らしさを出せたことです」

動画では、2人の関係性が伝わる以下のトピックについても語ってもらいました。
- 高校1年生の大塚選手が、母校に来た福澤さんに物怖じせずに質問したこと
- 「どこ高校だっけ?」出来すぎた回答に思わずニヤリな福澤さん
- 「大塚がイタリアでどう変わるか、興味ありますね」石川祐希選手との会話とは?
- アジアチャンピオンズリーグで福澤さんが感じた、大塚選手のスパイクの進化
- 「こいつ、チームにいないとダメだな」どうやったらそんな選手になれるのか
- 「お前、距離近いって言われました」イタリア流? 大塚式コミュニケーション術
アウトサイドヒッター同士によるスパイク論から、人間としての在り方まで――。約1時間のトークには、大塚達宣という選手の“今”と“これから”が詰まっています。
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福澤達哉(ふくざわ たつや)
1986年、京都府出身。中央大1年時に代表デビュー。2009年、パナソニック内定選手としてV・プレミアリーグ新人賞を獲得。同年代表でもアジア選手権のMVPを受賞。15年から日本を離れ、ブラジル、フランスでもプレー。日本代表では08年、北京五輪出場。21年に引退後、パナソニックグループで広報。
大塚達宣(おおつか たつのり)
2000年、大阪府出身。小学3年生の時にパンサーズジュニアでバレーを始める。洛南高校から早稲田大学に進学。22年パナソニックパンサーズ(現・大阪ブルテオン)に入団。24年9月からイタリア・パワーバレー・ミラノでプレー。日本代表として東京五輪、パリ五輪に出場。195㎝
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