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【横浜高校】渡辺元智×小倉清一郎、二人三脚の55年を語り合う「松坂は成長していたから、どんどん叱った」《今の指導者に伝えたい“不易流行”》
――本日は横浜高の監督として甲子園で春夏通算51勝を挙げられた渡辺元智さんと、それを部長として支えてこられた小倉清一郎さんに、横浜を代表するホテルニューグランドにお越しいただきました。
小倉 俺から話していいかな。今は「監督」としか呼ばないけど、この人を高校時代は「ゲン」と呼んでいたんだ(渡辺の旧名「元(はじめ)」から)。
渡辺 クラスも同じだったからな。
小倉 この人は法政二高に行くはずだったの。頭が良かったから。ところが、笹尾晃平という人が横浜の監督になって、平塚の人だったから、平塚のいい選手がみんな横浜に来た。監督もその一人。だから「平塚組」と「横浜組」に分かれていたけど、俺らは仲が良かった。平塚でキャンプをやると、監督の家に泊まっていたんですよ。監督はセンターで打順は3番か5番。俺は内野から外野にいき、新チームになって、キャッチャーでもやっとけって言われた。
渡辺 そうやってキャッチャーにたどり着いたのは、ある意味運命だよね。やっぱり笹尾さんの目が確かだった。ただ、それからが大変だったろう。キャッチャーは怒られ役だから。野球を教わるというより、あの人の厳しさについていくにはどうしたらいいかを考えていたよな。小倉はキャッチャーで近くにいるから、野球をすごく覚えたんじゃないか。
小倉 いま考えりゃ、キャッチャーをやってなかったら指導者になってなかった。その点では感謝している。卒業後は東京農大に行って、社会人野球までやってから就職して、縁あって東海大一高(現・東海大静岡翔洋)のコーチを4年間やった。そのあとは仕事に専念して、磯子(横浜市)で信号待ちをしてたら、ばったり監督に会った。そこからの物語なんだよ。
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