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「公式戦前に100mダッシュ100本!?」智辯和歌山・高嶋仁監督が課した“猛練習”の内幕…「あのチームに自主性はいらない」の深い意味とは?
2024/08/13
甲子園で積み上げた勝利数は歴代2位の68勝。たった30人の集団は、なぜ聖地で勝てたのか。優勝を果たした3人の教え子たちが語るのは、“地獄の6月”と呼ばれる特訓の日々だった。(原題:[猛練習の内幕]高嶋仁(智辯和歌山)「少数を精鋭に鍛える」)
1996年の夏の甲子園は松山商と熊本工の決勝戦だった。すでに初戦で敗れ、新チームをスタートさせていた智辯和歌山の1、2年生は三塁側ベンチのすぐ上のスタンドからこの伝説のゲームを観戦した。
高嶋仁監督が20人に語りかける。
「来年はここで決勝戦をやるから、ちゃんと雰囲気を味わっておけよ」
1年生の鵜瀬亮一(現・新潟医療福祉大監督)は松山商の右翼手の“奇跡のバックホーム”を目撃して、思わず立ちあがったという。まだ智辯和歌山が夏の栄冠を一度も手にしていない頃の話だ。
「高嶋先生の中で来年は全国制覇を狙えるという手応えがあって、自らバスを運転して連れてきたのだと思う」
それから学校に帰って練習した。
試合前に100mダッシュ100本、スクワット100回。
常勝高嶋野球の土台は猛練習にあり、と表面的に理解はしていたが、夏の甲子園を制した'97年と'00年の選手たちに取材を重ねると、その過酷さに驚かされた。
'97年の優勝メンバー、2年生でレフトを守った鵜瀬が振り返る。
「普段の練習は14時に始まって21時まで。ノック、バッティングが2時間ずつ、とにかく時間が長かった。下宿に帰って洗濯して風呂に入るんですが、湯につかりながら眠っていました。干し忘れたユニフォームは翌日、教室に干すんです」
春の近畿大会では試合前にもかかわらず、球場周辺で走り込んだ。
「100mダッシュ100本、スクワット1000回。天理の選手に『これから試合やぞ、何やってんねん』と言われました」
決勝で、その年のセンバツ王者の天理に勝つのだった。
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photograph by Katsuro Okazawa