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《傷だらけの銅メダル》早田ひな、3位決定戦“開始5分前”の注射で「奇跡だった」左腕の回復と4年後へ「燃え尽きている場合じゃない」
「最後まで自分らしく戦えたなって思います。オリンピックの決勝の舞台を経験したからこそ分かったこともいろいろあって。だから、燃え尽きている場合じゃないんです。パリまでの3年間よりも、自分自身と向き合って、突っ走っていきたい。自分自身に打ち勝てるような、より図太い人間になりたいと思っています」
中国との卓球女子団体決勝戦を終えたばかりの早田ひなは、興奮気味にそう語った。
パリで初めて五輪の舞台に立った日本のエースは、シングルスで銅メダル、そして女子団体で銀メダルを獲得した。
もちろん、中国の厚い壁を越えられなかったという悔しさはある。だが、「パリで卓球そのものを楽しみたい。後悔のないように、力を尽くしたい」と大会前に掲げていた目標の一つは達成できた。だからこそ、その表情はどこかすっきりとしていた。
21歳の夏、早田は東京で初めてオリンピックの舞台を経験した。ただし、4人目の選手、リザーブという立場だった。自分がこの舞台に立った時、どんなプレーができるのだろうか。目の前で混合ダブルスの金、女子シングルスの銅、女子団体の銀と、3つのメダルを見届け、大きな刺激を受けた。
この舞台で通用するためにはどんな技術が必要なのか。心がブレたときはどうするべきか。自分がオリンピックで戦うために必要なものは何なのか――毎日が気づきの連続だった。選手をサポートする周囲の人々の献身的な姿に「卓球は一人では何もできない。周りの支えがあってこそ不自由なく戦える」ことを再認識。感謝の気持ちもこれまで以上に強くなった。それがパリの代表選考会を戦う原動力にもなっていた。
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