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「僕の責任でメダルを取れなかった」土江寛裕は心を天秤にかけて…男子4×100mリレー「3秒75の魔法」とは?《連載「オリンピック4位という人生」2004年アテネ》

2024/08/14
シドニー五輪の男子4×100mリレーで第1走者だった土江寛裕
'08年にメダルを獲得し、今や日本が世界に伍する種目となった男子4×100mリレー。北京で花開くその4年前、メダルを逸した第1走者が走り続けたレーンの先には―。(初出:Number1002号2004アテネ「0.2秒先にあった答え」オリンピック4位という人生

 あのスタートの感触は今も曖昧なままで、長らく後悔のもとになっていた。

 男子4×100mリレー決勝。アテネのスタジアムは完全な静寂に包まれていた。日本の第一走者・土江寛裕は神経を耳に集中させると、爆発音と同時に走りだした。

「イギリスのフライングで仕切り直しになった2回目のスタートでした。ただどうしても記憶がおぼろげなんです……」

 そこからわずか40秒足らずでレースは終わった。日本はアンカー朝原宣治が数選手をかわす好走をみせて4位になった。

 金メダルのイギリスがフラッグを掲げ、銀に終わったアメリカがうなだれているのが見えた。コンマ数秒が分けた勝者と敗者の群れの中、土江は心を天秤にかけていた。

 4位は日本の同競技史上最高順位だった。ただ一方で3位ナイジェリアに0.26秒差、約2mの差でメダルを逃したのだ。

男子4×100mリレー決勝、第一走者の土江寛裕はバトンに祈りを込める ©Yomiuri/AFLO
男子4×100mリレー決勝、第一走者の土江寛裕はバトンに祈りを込める ©Yomiuri/AFLO

「讃えてくれる声も多かったんですけど、やはり残念という気持ちが強かったですかね。なんとか代表メンバーに入れた僕としてはリレーにかけていた。最後のオリンピックでメダリストになって、競技人生を終わりたいと思っていましたから」

 土江はこのとき、まだ自分の身に何が起こったのか気がついていなかった。

 心の天秤を少し落胆へと傾けたままTVカメラの前でインタビューに答え、新聞雑誌メディアが待つ囲みへと向かった。すると人波の中から顔なじみの専門誌記者に聞かれた。彼女はすこし血相を変えていた。

『あれ。1回目のスタート。どうしたの?』

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photograph by Takuya Sugiyama/Yomiuri/AFLO

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