前には、誰もいなかった。
8月2日、午後9時15分。東京オリンピックの陸上競技が開催されていた新国立競技場では、男子3000m障害の決勝がスタートした。
同種目49年ぶりに決勝進出を果たしていた順天堂大学の三浦龍司は、600m付近で「中盤でもまれるよりも」とリスク回避のため先頭に立った。そこから約500m、時間にして約1分25秒。19歳の日本人ランナーが、ケニアやエチオピアの猛者を後ろに従えて世界のトップをひた走った。見る者を興奮させる、歴史的な時間だった。
中盤でポジションを下げ、10位で突入したラスト1周で待っていたのは、初めて体感する爆発的なスパート合戦だ。その激しさは三浦の想像を超えていた。ラスト1周のタイムは、優勝したモロッコのスフィアヌ・エルバカリが57秒9、三浦は61秒1。「3秒2」という数字以上の差を感じながらも、前のランナー3人をかわして7位に入った。
この種目で日本人初の入賞。現役の箱根駅伝ランナーが五輪のトラック種目で入賞するのは、1936年ベルリン大会の5000m&1万mで4位になった中大の村社講平以来、85年ぶりのことだった。
「入賞できたのはうれしいし、大きな成果だと思います」
しかし、充実感と安堵の気持ちが全てではないのも確かだった。
「(メダルが)狙えなくはない場所にいた感覚はある。正直、悔しいです」
そして三浦にとっては、自身の可能性を感じ取ったレースでもあった。
「最初の1000mは速く入りすぎましたね(苦笑)。そこは反省です。ラスト1周の場面で先頭について行くのが理想だったけど、それができなかった。最後、差しにかかっても中々引き離せなかったり、(上位の選手は)中盤からの追い上げ、ギアの切り替わり方が僕とは全然違いました。でも、だからこそ、それに対応できれば変わってくると思うんです。改善点は伸びしろでもあるはずなので」
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