日本がオリンピックに初参加したのは1912(明治45)年、第5回ストックホルム大会であるが、東京高師(現筑波大学)の学生、金栗四三(しそう)がマラソン競技に出場している。後年「マラソンの父」とも呼ばれたが、日本の五輪史はこの人物からはじまる。
熊本・玉名の出身。人物評伝『走れ二十五万キロ』を著したのは熊本日日新聞記者だった長谷川孝道で、好々爺となっていた金栗の自宅に通い詰め、同紙に長期連載したのが元原稿となっている。
著者がエフエム中九州の社長時代にお目にかかる機会を得たが、ことオリンピックに関して金栗は不運な人だった――という。ストックホルムでは暑さにやられ、レース途中で棄権する。雪辱を期したベルリン大会は中止、アントワープ、パリ大会でも結果を残せなかった。
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