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「女子プロレスを変えた男」空手家・山崎照朝が語るクラッシュ・ギャルズと「本当の涙」《新島合宿では「先生のカレーライスに毒を…」の声も》
初めて「風林火山」の空手着を身にまとった。見栄えのする高い岩場に上り、正拳突きを繰り出した後は、海に浸かって水しぶきが上がるような蹴りを放つ。1983年8月13日から始まった伊豆・稲取温泉での夏季合宿。まだ「クラッシュ・ギャルズ」と名乗る前の20歳のライオネス飛鳥と18歳の長与千種は、報道陣向けの「絵作り」を終えた。あとはリングで軽く練習するだけだと思っていた。
二人の横には「極真の龍」こと、山崎照朝がいる。極真空手の全日本選手権第1回大会チャンピオンであり、現役の新聞記者。変わり種の空手家が、今回の全日本女子プロレス(全女)の合宿から指導していた。
リングでの練習を終えると、拳の握り方から突き、受け、蹴りと山崎が空手の基本を示し、飛鳥と長与が反復する。疲労困憊で宿舎に戻り、他の選手たちが休憩する中、二人は大広間で再び空手の稽古が始まった。
「いつまでやるんだろう……」
飛鳥と長与だけでなく、寛いでいる他のレスラーでさえ、うんざりしている。
二人は駄々をこねるように言った。
「こんなに厳しいなんて。今までやってきた練習と全然違うじゃねえか」
「スターになりたいなら、文句を言わずにやれ!」
全女の副会長、松永健司の怒鳴り声が響き渡る。朝、昼、晩の1日計6時間の猛稽古。これこそ、全女創業家の松永4兄弟(健司、高司、国松、俊国)が望んだ合宿だ。飛鳥と長与のペアが本格的に始動した。
ジャッキー佐藤&マキ上田の「ビューティ・ペア」が解散して4年が過ぎていた。ジャガー横田、デビル雅美、ミミ萩原が奮闘するも、ブームを巻き起こすには至らない。
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