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“駅伝の青学大”から日本選手権で大躍進のナゼ…高校は“偏差値67の非陸上強豪校”出身「異色の24歳ランナー」の正体「駅伝ではふがいない結果で…」
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和田悟志Satoshi Wada
photograph byAsami Enomoto
posted2026/06/13 17:05
陸上日本選手権3000mSCで日本歴代3位の好記録で2位に入った小原響。「大学駅伝の王者」青学大の出身ながら、トラックで存在感を見せている
青学大在学中も3000m障害に取り組み、この種目で日本のトップ級の選手に駆け上がっていった。
駅伝やマラソンなどロードのイメージが強い青学大で、トラックを、しかも3000m障害という種目を主戦場とするのは異色ともいえた(昨季までの大エース・黒田朝日は、3000m障害でU20等の日本代表の実績がありながらも、大学3年の春に封印し、長い距離にシフトしている)。
なぜ「駅伝の青学大」で障害種目に注力?
小原が在学中に3000m障害を専門することに決めたのは、挫折と成功体験の両方があったからだった。
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「中学から陸上をやってきて、自分の武器だなと思うところがあったんですけど、青学に入って、どんどん自分の武器が折られていきました。アメリカに行ってからもそうですが、“自分はまだまだなんだな”って思うことが多かったです」
もちろん箱根駅伝を走ることは小原にとっても目標だった。大学4年時は副キャプテンを務め、箱根駅伝優勝を目指した。しかし、常勝軍団のメンバー争いは厳しく、結局、4年間一度も箱根駅伝を走ることが叶わなかった。大学三大駅伝(出雲、全日本、箱根)への出場も、大学4年時の全日本大学駅伝の1回のみだった(4区7位)。
その一方で、得意の3000m障害では結果を残すことができた。特に大学2年時の日本選手権では大きな成果を挙げた。初めての大舞台だったにもかかわらず、堂々としたレースを見せて、5位入賞を果たしたのだ。これが大きな自信になった。
「東京オリンピックの代表選考レースで、参加標準記録にあと5秒だったんですけど、代表が見えるところまで来ました。競技を続けるか迷ったんですけど、世界を目指したいという思いもある。駅伝でふがいない結果に終わっていたので、ある意味、もうワンチャンスだと思って、自分に与えられた“サンショー選手”の才能を信じて、陸上のキャリアを最後までやりたいなって考えるようになりました」

