甲子園の風BACK NUMBER
大阪桐蔭でも履正社でもなく…なぜ山口の私立高を選んだ? 20校以上が勧誘した“スーパー中学生”の争奪戦「無理かなと思った」高川学園関係者が明かすウラ側
text by

井上幸太Kota Inoue
photograph byHideki Sugiyama
posted2026/03/13 06:01
20校以上が勧誘した“スーパー中学生”の争奪戦ウラ側
「今使っているものとは違って、あまり有名ではないメーカーのグラブを使っていました。野球をしていても知らない人も多いであろうグラブです。それがもし、大手メーカーでそろえていたら、諦めていたと思います。王道が好きな子なんやろうなって。でも、新しいチームで、グラブはマイナーなメーカー。ブランドや看板に固執していない印象を受けて、訴えかけるならここしかないと思いました」
西岡の推測は、木下の「人と同じなのは嫌なタイプ」という素養と概ね合致していた。
木下は小学生時代に、ヤクルトでプレーした岡本秀寛のピッチングスクールに通っていた。甲子園経験がなくともプロに進んだ岡本と接することで、「高校野球は通過点。自分もプロに行きたい」という気持ちが芽生えた。
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高松庵治ヤングストーンズは、そのスクールを発展させる形で生まれ、現在も岡本が監督を務めている。大手でなくても、気に入ったグラブを愛用する。チームの知名度や歴史よりも、信頼できる師を選ぶ。甲子園にとらわれず、自分を高められる環境を欲する……。たしかに、そこにブランド志向は微塵もない。
垣間見えたフロンティア・スピリッツ。西岡の見出した風穴であり、木下を欲した最大の理由でもあった。
部長は藤浪晋太郎と中学同期だった…
部長の西岡は大阪府堺市出身。少年野球が盛んな南大阪で生まれ育ち、自身も大阪から高川学園への野球留学を経験した。幼なじみであり、中学時代に同じ大阪泉北ボーイズでエースの座を争ったのが、藤浪晋太郎(DeNA)だった。府内の強豪校に進んだ盟友、自身と同じく地方に活躍の場を求めた先輩や同期の両方を見たこと、指導者となってから多くの野球留学生を指導する日々にあって、確信したことがある。
「『王道の有名校に行けなかったから、高川学園に来ました』という選手だけでは、その有名校に絶対勝てない。いざ甲子園で対戦すると、『うわ、自分が行けなかった強豪かよ』と思ってしまう。その時点で負けていますよね。山口県という地方から日本一を目指すからには、おこがましいですけど、中学やその前の段階から、有名校に行きたいではなくて、『倒したい』と思っている、“野心的な”選手が増えていかないと、勝負にならないと思っています」
西岡自身が高川学園を選んだ理由も、そうだった。進路を考える時期、高川学園に招へいされて間もなかった、中野泰造の目に留まった。「ノーサイン野球」を旗印に、東亜大を3度の大学日本一に導いた名将の口説き文句は、こうだ。

