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フィギュアスケートPRESSBACK NUMBER
「いざという時、いつでも女性の“下敷き”に」大逆転を可能にした木原龍一の包容力…日本人ペアの先駆者が語る「りくりゅう世界最高の輝き」
text by

佐藤春佳Haruka Sato
photograph byGetty Images
posted2026/02/18 11:02
1992年アルベール五輪に出場した井上・小山ペア
五輪出場はまるで映画「クールランニング」
小山さん曰く「成り行きで出場した」二人は、長い歳月をかけて準備を重ねたわけでも、悲壮な決意で五輪に挑んだわけでもなかった。ただ、ペア競技の黎明期だった当時、練習環境も整わないなかで、試行錯誤を繰り返してきた二人の時間は濃かった。
「自分自身はペアをやるなんて思ってもみなかったので、リフトとかそういったものが1つ1つ出来上がるごとに、自分にも出来るんだという驚きと感動がありました。全てのことに必死で、オリンピックに出るまでの流れが、コメディチックなスポーツムービーみたい。後に映画の『クール・ランニング』を見たとき、これ自分達のことじゃん! って思いましたからね」
五輪後の3月、二人はアメリカ・オークランドでの世界選手権に出場するはずだったが、井上さんが膝を怪我したことで棄権。小山さんはその後の2年間、ペア競技をすることなくシングルに専念し、大学卒業後はプロスケーターの道を歩んだ。一方の井上さんは、高校2年時の1994年リレハンメル五輪にシングルとして出場。ジョン・ボルドウィンとペアを組んでアメリカ代表として出場した2006年トリノ五輪では7位入賞を果たした。
がん闘病も支え「戦友のような関係」
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ペア解消後も、二人は家族ぐるみの交流が続いていた。渡米後の井上さんが肺がんに罹患した際には、小山さんとその家族が近くで支えたこともあったという。
「彼女は本当に強い。キモセラピー(抗がん剤治療)を受けながらも平気で車であちこちに移動していて、僕は運転ができないので乗せてもらっていた。支えたというより、僕がお世話されていた方かもしれません。振り返ると戦友のような、いい関係でしたね」
2023年3月、三浦・木原ペアが世界選手権で初優勝した瞬間、小山さんはテレビ中継の解説をしていた。
「ひたすら泣くのをこらえていました。声が滲まないようにするのが精一杯で……。日本人同士のカップルでこんな実力者が誕生するとは思いもしなかったし、世界でナンバーワンになる時代が来たんだな、と」
“りくりゅう”演技の密度は「まさにシームレス」
競技者だったからこそその凄みを感じるのは、二人の演技の“密度”だ。
「スケーティングの技術も高いし、ジャンプ、リフトなどの繋ぎに隙間がなくて、まさにシームレスなんです。ソロのスピンのコンビネーションも乱れないし、全てが合った状態で最初から最後まで行ける。他のカップルとは全く違います」


